読書レビュー:鬼の冠――武田惣角伝 (双葉文庫)


剣豪小説の名手、津本陽の中編小説。

小説・・・?なんだが、あまり筋がない。

武田惣角伝、の副題に間違いはない。しかし、普通幼年期から描いて、その過程で人・異性との関わりなんかが織り交ぜられていくもんなのではないだろうか。
吉川英治の宮本武蔵とか司馬遼太郎の一連の小説とかでもそうですよね。

ほとんどそのような描写はなく、激しい修行やその修業の過程における命がけの武勇伝がどんどんと積み重ねられていく。

宮本武蔵であれば、4〜500年前の剣豪であるから、半ばおとぎの国の話しで済ませられもしようが、武田惣角の場合はそうはいかず、あまり、創作の入る余地はないのかもしれない。

維新後に活躍し、昭和に入ってから没した人である。面識のある高弟の佐川幸義や孫弟子の塩田剛三がつい最近まで存命であり、彼らの証言・著述や流派間の微妙な関係もあるだろうし。

実際、直弟子の植芝盛平のことなどももう少し絡んでくるかと思ったが、非常にさらりと流されている。

つまり、それだけただ今現在にリアルにつながっているということだ。

描写されている武田惣角の神がかったような達人ぶりは、このリアルな時代感の中ではやはりお伽話になりにくいのかもしれない。

塩田剛三の自伝などを読んでも、師の植芝盛平はすでに神域に入っているし、佐川幸義の弟子の評伝なども、未だ存命中にも関わらず神格化されてアンタッチャブル状態。

いや、お伽話を否定はしないし、大好きなのだが、さすがに壁抜けの術とか言われると素直に読み進めることはできない。

又、別の本になるが、塩田剛三の自伝「合気道人生」。

こちらを読むと、塩田剛三の政治的な手腕が垣間見える。

有力な政治家の知己を得、団体を大きくさせている。

これはマス大山にも言えることだろう。

彼らはスポーツマンではない。武道家である。

バーリ・トゥードを超えた究極のノールールの中に生きているのだ。

ある意味、極道と表裏の関係にあるのかも知れない。

そこまでのタクティクスまで考慮した上で、やはり神業は存在するものと思いたい。

とりあえず、この本、上質な「グラップラー刃牙」のスピンオフを読んでいる感じ。面白いので、すぐに読めます。

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