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読書レビュー:儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇


ケント・ギルバートさんはたまに書かれているものを見ると、結構過激だなあ、右よりだなあと思っていました。

かなり以前から「自虐史観」という言葉は意識していたのですが、矢面に立っていたのが小林よしのりで、うざかったのでスルーしていました。

こういうこともあるのですね。武田鉄矢が嫌いすぎて、坂本龍馬も嫌いになったという「名言」がありますが、これも似たような状況です。

ボクは一旦嫌いになると、極端に避けてしまうクセがあるので。時分の勝手ですが、大迷惑です。

ケント・ギルバートさんの著作をまとまって読んだのは始めてです。

あまりの日本びいきのバイアスで鼻白んでしまいましたが、そんなにバランス感覚のない人とも思えないので、読み進んでいきました。

若い人ならば、表現は悪いけれど、右に洗脳されてしまいそうな内容でした。

いや、別に嘘を書いているとは思いません。しかし、あまりに一面的で、対比として中韓の評価すべきところがあまりにも少なすぎるのではないかなと思ってしまうわけです。

ボクは直接中韓に行ったこともないし、それほど中国人・韓国人と直接付き合ったこともないので、確かなことは言えません。

評価の材料として、結構映画で判断します。

時代劇とかエンタメはあまり観ませんが、アート系は評価基準になると思うのです。

ほんとにヘンな国民性ならば、それが映画に現れると思うので。

しかし、ケント・ギルバートさんの言っているのは主に中国共産党であり、ろくな死に方をしていない歴代の韓国大統領などが主導する扇動政治なのだろうと思います。確かにこれらは困ったもんです。

ほぼ、著者の意見に賛同します。
つまり、慰安婦問題・領土問題・南京大虐殺など。

戦後処理の問題なのですが、著者も明記しているとおり、1945年終戦の年、中華人民共和国も大韓民国も全く「存在していなかった」のです。

にも関わらず戦勝国面(づら)はおかしいよなあ。

本書の基本姿勢・タイトルを要約すると。

儒教は紀元前に孔子により起こり体系付けられた思想・学問もしくは宗教である。

しかし、それは秦の始皇帝により禁じられ、その後換骨奪胎されたものとして歴代の漢民族によって都合の良いように歪められて伝えられた。

それは超自分中心主義の中華思想としてのものであった。

また、その中華思想を受け入れ、歴代中華王朝の属国として、そのアイデンティティを確立した朝鮮半島の国もそれに続いた。

一方、日出づる処の国である日本は早々と中華思想を拒否した。

しかし、中華=世界の中心とする思想の中韓(呼び名便宜上)は、地理的にも遠方にある日本を一段低いものとして認識する伝統(?)を受け継いでいるので、なんとかして日本を貶めたいという思いがあり、あの手この手で難癖をつけてくるという・・・感じですね。

しかも、なんだかんだで国際的に認められてている日本がウザくて仕方がないということらしい。

最近は米国は中国を重用しているみたいですけどね。

さて、本書はこのような基本ラインにもとづき、具体例をこれでもかと挙げて構成されています。

最近はやたらと日本好きな外国人を取材して作成されるテレビ番組が目につきます。

別にいいけど、自画自賛が過ぎるように思います。観ていてケツがこそばゆいというか。

古くは「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という本がベストセラーになりましたが、それがテレビのバラエティのレベルまで降りてきて量産されると、どうも素直には観られない。

本書もやたらと日本人の自尊心をくすぐってきます。ちょっと居心地が悪い。ボクがひねくれいるのか。

しかし、著者も伊達や酔狂で長らく日本に住んでいるのではないでしょうから、本心で現在の平和ボケ(この言葉も頻出)の自虐的な日本人の風潮を黙って見ていられないのかも知れません。(本書は日本語で執筆されているのでしょうか。だとしたら凄い!)

ボクもある程度はそうです。ていうか、右よりと言って差し支えないと思います。
もっとも、明確な左翼以外、日本人は潜在的右翼であるとも言われますが。

なので、本書の内容は50%以上首肯できるものであります。

著者には近い内容の著作が複数あるようなので、それも読んでみたいと思います。

読書レビュー:海と毒薬


著者 : 遠藤周作
新潮社
発売日 : 1960-07-19
映画公開時、鑑賞することができず、それ以来気になっていた作品ですが、今回の「沈黙ーサイレレンスー」公開により引きずられて読了しました。

ネタバレになりますが、プロットは有名なので、ある程度記載しても良いかと思います。

これは太平洋戦争中に起こった、九州大学生体解剖事件がモデルとなっています。

日本軍に撃墜されたB29の乗員米兵が捕虜となり、死刑判決を受けますが、通常の銃殺刑ではなく、生体解剖の犠牲になった事件です。

第二次大戦中の非人道的な生体解剖を扱った作品としては、大ブームとなった、森村誠一の「悪魔の飽食」シリーズがあります。ボクも読んだ当時に大きなショックを受け、トラウマとなった作品です。

「悪魔の飽食」はあまりに内容が直截的で、かつての帝国軍人に対する礼を失するというような激烈な批判に晒されたようです。

一方「海と毒薬」も発表当時、既に解決した事件に対する、さらなる過剰な断罪であるという攻撃があり、その後の遠藤の筆を鈍らせたような経緯もあるようです。

作品ないでは、九州大学とは書かず、九州のF帝大という架空の大学病院を舞台としています。いっそのこと九州ですらなくしても良かったのではないかと思います。

あまりにも非人道的な所業なのですが、舞台が戦争末期でもあり、モラルハザードも極まった感があります。

主に関わる若い医師二人にそれぞれの煩悶があり、この二人を主軸に物語は進行していきます。

おそらく、後にブラックジャックとドクター・キリコの造形にも影響を与えたのではないでしょうか。

翻って、同様に手術に関わった二人の看護婦はこの背徳的な行為に全く動じず、実に堂々としています。恐ろしいほどに。実際の医療現場でも、結構こんな感じなのかもしれません。

その他、権力側のエライ医師達と軍人たち。
特に軍人の感性は、現代では考えられない悪魔的な価値観です。

731部隊も南京も慰安婦も彼らなら躊躇なく実行するでしょう。

それが冷徹な武士道に通底するものならともかく、彼らは下卑た笑いを浮かべながら人権を蹂躙し、命の尊厳を否定します。
否、そこまでも思い至っていないのでしょう。

目の前の異国の兵士にも事情があり、これまでの人生があります。
彼らはそこになんの斟酌もありません。
葛藤があってこその軍人だとおもうのですが。

生まれた子供には未来が。老人には歩いてきた道の記憶が。
だからこそ、命は大切。

彼ら存在が創作の上の誇張であればと願います。

個人的に慰安婦問題は皆無ではないというのが、ボクの見解です。
あっただろうが、数の問題で盛りすぎじゃない?と思うわけです。

南京にしても、数十万人の死体をどうやって処理するのか。
本当であれば、明らかな物的証拠があるはずでしょう。
なので、もっとスケールを小さくすれば事件としてはあったかもしれない。
白髪三千丈の国の主張ですから、仕方ない。

その他、この物語には人間として唾棄すべき価値観を持った登場人物が複数います。

遠藤周作はキリスト者としての視点でこの物語を描いているのでしょう。

しかし、そのような視点を持たなくとも、「人」が善であるのか悪であるのか。
あるいは対立するものではないのか。考えます。

作者はこの小説の続編を執筆するつもりであったのですが、先に書いた批判に会い、それを諦めたということです。

読書レビュー:京都ぎらい


著者 : 井上章一
朝日新聞出版
発売日 : 2015-09-11
著者のことは比較的古くから知っていました。ブレイクする前から。
これほどの有名人になるとは思いませんでしたが。

様々なフィールドに造詣の深い人でありますが、ボクが知ったのはプロレス者(もの)としてでした。
まだ、プロレスが日陰者の存在であったころからですね。大方30年くらい前でしょうか。

兵庫県西宮市に鹿砦社という出版社があり、その会社が出していいたのが、知る人ぞ知る「プロレス・ファン」という冊子でした。

多分、創刊の原動力となったのは、当時まさに日本プロレスのエポックであった旧UWFであったと思われ、毎号の表紙には藤原喜明や佐山サトルのイラストが載っていたことを記憶しています。

そこによく寄稿をされていたのが井上章一先生。その頃はプロレスネタについて硬派に理論武装した人は、週刊ファイトの井上(I)編集長くらいしか存在しなかったように思いますが、京大出身のプロレス論客として、その名を心に刻んだのであります。
尤も書かれていた内容は、ほぼ何も覚えていませんが・・・

本書にも少しだけプロレスに関することが出てきます。それも、株式上場を狙っている新日本プロレスなどではない、ドマイナー団体のある選手の事で、いかにも井上先生らしいです。詳細は本書でどうぞ。

井上先生自身はボク達「外部」の人間からすると、嵯峨に生まれ現在は宇治に住まわれるド京都人なのですが、本書を読むとそれが100%否定されます。

端的に言うと、洛外に生まれ育ったものは京都人とは自他共認められないということだそうです。この「他」というのは、つまり「洛中」に生まれ育った都人(みやこびと)のことです。

この洛中洛外の人達の間だけで認識される感性に基づくもので、ボクも含めた都以外の人たちからすれば理解しがたいヒエラルキーがあるらしいのです。

大阪人のボクも薄々は「洛外のお人は京の人間やおへん。」という、京都人の言外の態度は知っていましたが、ここまでとは思いませんでした。

前の戦争というのが一般的にはWW2を指すのに対し、その戦災を免れた京都人は応仁の乱の事を言う、というのはジョークだと思っていたのですが、あながちそうでもないようです。

そんなトンデモ常識がまかり通っている(いた)京都の特殊な状況を冷静に面白くまとめた佳作です。

といっても、井上先生の視点も結構イケズで京都人の資格は十分にあると思うんですけどねえ。対外的に京都人と言われることに真剣に怒っておられる井上先生です。

※本書ではここに記載したような内容ではなく、しっかりとした知識と資料に基づいた表現が用いられ、この駄文はボク一流の表現であることを付記します。

読書レビュー:知の仕事術


著者 : 池澤夏樹
集英社インターナショナル
発売日 : 2017-01-12
敬愛する(といってもまだまだ良く知らないニワカですが)池澤夏樹さんの仕事術公開本。

SNSの話から始まりますが、ご本人は自身の事を語るなど、こっ恥ずかしくてできないそう。少し前からFacebookをROMっている私も同様です。

ただ、自己の記録として、WordPressによるブログのみは続けて行こうと思っています。それと、そこそこのフォロワーのいるツイッターは。

こういう知的生産の技術書というのは、昔から有名な書籍が何冊も出ています。知の先達たちが後輩のために親切にノウハウを公開してくれているのですね。

でも、わかっちゃいるけどついてけねー。というのが本音のところ。
それができれば苦労はない。継続は(天才)力である・・・と自己弁護で解釈しています。

それでも良いから、格好だけで良いからついていきたい。というので、同様な本にまたもや手を出してしまいます。

そしてもう一つ。基本は実践者の脳髄に帰結するのでしょうが、その時に応じたツールが出てきます。
本書は発行日が読書日と1ヶ月ほどしか違いません。まさに湯気の出ている新刊書でしょうか。なので、現在進行系のツールの解説も適切に行われています。
特筆すべき事として、著者は最初にワープロ原稿で芥川賞を受賞した人。創作のIT化に最初期に取り組んだ人でもあります。現在使用しているデバイスもiPhone6sPlusだったりして、ボクとおんなじ。

でも、あまり具体的に手取り足取りという紹介はありません。執筆にどんなソフトを使っているかとか。まあ、Wordのネタとかは出てきますが。

仮にアプリケーション名を挙げたところで、すぐに淘汰されてしまう(ドッグイヤー)運命ですから。私達自身がそこはさがしていくところでしょう。

最新の技術状況を踏まえつつ、外堀の埋め方をレクチャーしてくれます。
古典の読み方。紙の本と電子書籍の使い分け。等々。

フィールドワークのノウハウはまるでハンティングに行くよう。
で、シンプルイズベストですね。

日々身を削るように仕上げる執筆作業が目に浮かぶようです。膨大な資料を選択し、読破し、必要な部分を抽出し、作品に仕上げていく。産みの苦しみ。

そして脱稿した暁の爽快感・カタルシスは癖になると語っています。

私も掌編で良い(とはなんだ!)ので、創作チャレンジしてみようと思わせてくれる一冊です。

 

読書レビュー:スマホ断食


藤原智美という人は名前のみ知っていましたが、著作を読むのは初めてでした。

芥川賞作家ですが、エッセイの方が人気があるようです。

こちらの本も小説ではなく、ITにおける趣味・実用の分野です。

タイトルは「スマホ断食」ですが、さらに拡大して「ネット断食」としたほうが、内容には即すると思います。
現在最もスポットライトが当たっているデバイスとして、象徴的に「スマホ」が使われているようです。

大方の主張はほぼ、私も同調できます。

IT分野の書籍はすぐに賞味期限が過ぎてしまいます。まさにアッチューマです。

よほど本質を捉えたものでないと、上っ面の現象を論じていると、1年で読む価値がなくなってしまいます。

ベクトルを示し、タブレットやスマホ(iPhone)を作ったスティーブジョブスの凄さを改めて感じます。

そのジョブスの作ったAppleやビル・ゲイツのMicrosoft、そしてラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンによって作られたGoogleはまさに新たな地平を切り開いたと言えるでしょう。

しかし、そのGoogleなどを信奉することに否定的な人たちも最近増えてきたと、この書籍は説明します。

著者は特に様々な事例を挙げ、個人情報の守秘性について懸念を示しています。
それまで著作その他を保存していたクラウドストレージであるEvernoteの使用を止め、非ネット接続の端末に保存しているそうです。
しかし、そもそもその孤島端末のハードとしての脆弱性を補うために、様々なクラウトサービスが誕生したので、それもどうかと思います。
私は相変わらず、EvernoteやDropboxといったクラウド・サービスの恩恵を半ば開き直って受けている状態です。
ネットにおける個人情報の漏洩を心配していると、それこそ何もできなくなってしまいますし。

著者は現在の動向をかなり正確に掴んでいる上での意見を非常にわかりやすく書いています。

キーワードとしては「非知性主義的」といった単語が良く使用されます。
これも時代をしっかりと捉えてる証左でしょう。
本書が出版された数カ月後にはドナルド・トランプがアメリカ大統領に選ばれ、そのバックアップをしたのが「非知性主義的」な米国の人々であると散々言われていることに驚きます。

「スマホ断食」を気軽に2・3日始めてみましょうと書かれていますが、スマホは取りも直さず電話(通話)機能が大きなウェイトを占めます。
ガラケーとの二台持ちの人は良いでしょうが、スマホを机の引き出しに2・3日放り込むのは実際には困難です。
特に固定電話を持たずに携帯だけの生活をしている人たちには。

ただ、言わんとしていることはわかります。
PC断食ならばなんとかなるかもしれません。
少し、PCを立ち上げることを我慢するだけで、余計なネットサーフィン(死語)をしなくてすむので、自分としては生産性が上がったような気分にはなります。

要は「使う」ことではなく「使わない」ことで、どこまでITリテラシーを高められるか。
一度立ち止まって考えても良いのではないかということでしょうか。

読書レビュー:トイレの話をしよう 〜世界65億人が抱える大問題


昔、「トイレット博士」というマンガがありました。当時はありえない下品なマンガだと思っていたのですが・・・。今考えると、あそこまで糞便に向き合えるって凄いことだし、貴重なことですね。

さて、本書の著者は英国の女性ジャーナリストです。表紙折り返しの著者近影で見る限り、結構チャーミングな女性です。この人がこの内容を・・・。ジャーナリストってアドベンチャーですね。

ボクは小さい頃から祖母に大阪弁?で「かんしょやみ(癇性病み)」と言われていました。標準語では潔癖症と言えばいいのでしょうか。

今も治らず(というか、本人はそれが普通だと思っている)電車のつり革を持たない派です。

そんな自分ですが、最も忌むべき場所であるトイレ・便所から目を背けたくないという二律背反(どちらにも価値がある)した価値観を持っています。

まず最初の章に出てくるのが我が国日本のウォシュレット(TOTO)・ハイテクトイレ。この章を読んで、あれ、この本は日本向けなのかな、と思ってしまいました。

しかし、これは後の章に出てくる便所後進国?と対比させるためのトイレの技術としてのレポートです。

良くネット等では訪日外国人の感想として、日本ハイテクトイレが取り上げられますし、近年の中国人爆買いの目玉商品としてハイテク便座があります。
一方、ハイテクトイレがアメリカに受け入れられていないのは、アメリカ人がそれを必要を感じていないという、非常にシンプルな答えが書かれています。

しかし、どちらにしてもそれは下水処理の入り口でしかありません。その先に高度な下水処理の仕組みがあるのです。
その点まで思い至らない自分を発見しています。
それが第二章です。

筆者自ら英国の下水道に降りていきます。映画「第三の男」を始めとし、良く見かけるシーンです。タートルズも下水道に住んでたんだっけ。

良く、台風や大雨で冠水するとマンホールから水が吹き出たりして、下水が溢れます。昔は汲み取り式の便所が大半でもあり、それって汚いよなあと、漠然と思っていました。
しかし、この本によると、通常下水に含まれる屎尿の割合は全体の2%程度なのだそうです。つまり、大量の雨水が流れ込んでくると、その割合はさらに低くなります。
でないと、映画のワンシーンで下水の中をバシャバシャ走るなんて嫌ですよね。

それ以降の章ではトイレ未開発の地域に多く紙数を割いています。

インド・中国・アフリカ諸国

映画「スラムドッグ・ミリオネア」の冒頭のシーンで、スラムの少年が公衆便所に閉じ込められ、肥桶の中に飛び込んで便所から脱出するという見たくないシーンがありました。

しかし、現実にはトイレが「有る」という状態すら少ないのだそうです。

インドを始めアフリカ諸国には下水どころか(上水道もないんだから当然ですよね)トイレそのものがない。存在しない。つまり全員野糞。

これが感染症の温床となり、慢性的に病気を引き起こし、経済活動に大打撃を与えていると報告します。
人類の絶対数ががもっともっと少なかった時代にはこれでもよかったのです(多分)。お天道さんが乾かしてくれました。

これは日本でも同じです。汲み取り式にしろ、水洗式にしろ、古来よりなんらかの設備があったから生活が送れていたのです。
トイレは本当に不可欠なものであるということが再認識されます。

これは経済発展を遂げている中国にも未だにあることで、経済特区以外の内陸部などでは改善すべき場所が多々あるようです。

スカートを履いた女性の身でありながら、描写したくない状態で取材を続けている筆者を尊敬します。

伊達や酔狂でできることではありません。これは目を背けず、世界的問題として、もっとクローズアップされるべきジャンルだと思います。

かと言って、これを映像化できるかというと、あまりにも厳しい。お茶の間に届けるにも十分に配慮を要する話題でしょう。

この問題は小中学校で取り上げるべきで、この本はそのテキストに最適かと思います。

読書レビュー:殺人鬼フジコの衝動 限定版 【徳間文庫】


ジャンルでいうというとミステリーなのでしょうが、いわゆる推理小説というものではありません。

作者は後味の悪い小説を書くということでは定評があるとのことですが、後味というよりは冒頭からずっと気分の悪い題材とディテールでした。
にもかかわらず、読み進んでしまうというのは作者の技量と言って良いと思います。
嫌なんだけど。

時代設定が昭和ですが、発行部数からして若年層読者ターゲットにはそれほど問題ないようです。少なくともボクには違和感はありませんでした。

特に女と子供のエグい部分を濾過してみせるように描き出しています。一方男はエグいと言うよりはひたすらセコく情けない部分を。
性善説など鼻で笑い飛ばしています。

ホントになんでこんな小説を読み続けているんだろうと思いつつラストへ。

週末近くになると物語の進行が転調し、狂ったジェットコースターのように加速度を増します。

そしてエンディングへ。

読書レビュー:バーという嗜み


漫画「BAR レモンハート」のチーフバーテンダーを務めていた著者のエッセイのような入門書のような著作。

一つ一つの章が短く、長さもバラバラであり、いかにもプロのライターの手によるものではないという感じ。
しかし、文章表現などは上手く読みやすい。ある程度添削などはされているのかもしれないが。

さまざまな知識は本物で、おそらくはほんの小出しにしている程度なのだろう。
是非著者の手によるカクテルなどを味わってみたいという気になる。

カクテルやウイスキー等の酒だけではなく、シガーや凝ったフードもコンパクトに濃密にまとめてあり、この一冊でまさにオーセンティックなBARにいる気分にさせてくれる。

読書レビュー:コップのフチ子のつくり方


「コップのフチ子」も「ココは俺が食い止める、お前は先に行くニャー」もインパクトは結構あった記憶があります。

購入するまでには至りませんでしたが。

単純に販売していたならば買ったかも知れませんが、逆にガチャガチャだったから二の足を踏んだのかもしれません。

購入に遊びの要素があるということ自体、変に大人であると照れてしまう、恥ずかしいという感覚が出てきます。

それらの商品の軽さ同様、いい意味で軽くスカスカな構成です。

筆者はこれらのガチャガチャの仕掛け人である、奇譚クラブ社長の古屋大貴さん。

やはり、本書執筆時現在社員10名の会社です。もっと大人数であった時もあるそうなのですが、10名というのがベストであるという考えがあるそうです。

それは京セラの稲盛和夫さんの提唱する「アメーバ経営」に通ずるものがあるのでしょうか。

最も奇譚クラブの場合は単細胞生物止まりを良しする傾向のようですが。

思った通り、この会社は慰安旅行に学生服とセーラー服着用のようなぶっ飛んだ楽しい会社のようです。
Googleの福利厚生を思い出しますが、さりとて勿論楽しいだけで会社は成り立ちません。
楽しさの分だけ厳しさもあるのでしょう。その証拠に社員は独立を含め、入れ替わっています。安定感は犠牲にしています。

本書の最後に、この本はアイデアの出し方よりもそのベースとなる組織論にウエイトを置いて書かれた、という説明がありました。

真剣に遊んでいる大人たちには憧れます。

読書レビュー:未来ちゃん


※佐渡ヶ島に暮らす幼女、未来ちゃんの日常の写真集。
写真集なので、読書というのもおかしいですが。

著者 : 川島小鳥
ナナロク社
発売日 : 2011-03-22
表紙にやられますね。
つぶらな瞳にふっといまゆげ。お約束の鼻たらし。

撮れそうで撮れない日常の連続をよくここまで集めたものです。

あえて笑顔が殆どないのですが(少しあざといか)、そこはかとない可愛さに充たされ、癒されます。