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読書レビュー:儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇


ケント・ギルバートさんはたまに書かれているものを見ると、結構過激だなあ、右よりだなあと思っていました。

かなり以前から「自虐史観」という言葉は意識していたのですが、矢面に立っていたのが小林よしのりで、うざかったのでスルーしていました。

こういうこともあるのですね。武田鉄矢が嫌いすぎて、坂本龍馬も嫌いになったという「名言」がありますが、これも似たような状況です。

ボクは一旦嫌いになると、極端に避けてしまうクセがあるので。時分の勝手ですが、大迷惑です。

ケント・ギルバートさんの著作をまとまって読んだのは始めてです。

あまりの日本びいきのバイアスで鼻白んでしまいましたが、そんなにバランス感覚のない人とも思えないので、読み進んでいきました。

若い人ならば、表現は悪いけれど、右に洗脳されてしまいそうな内容でした。

いや、別に嘘を書いているとは思いません。しかし、あまりに一面的で、対比として中韓の評価すべきところがあまりにも少なすぎるのではないかなと思ってしまうわけです。

ボクは直接中韓に行ったこともないし、それほど中国人・韓国人と直接付き合ったこともないので、確かなことは言えません。

評価の材料として、結構映画で判断します。

時代劇とかエンタメはあまり観ませんが、アート系は評価基準になると思うのです。

ほんとにヘンな国民性ならば、それが映画に現れると思うので。

しかし、ケント・ギルバートさんの言っているのは主に中国共産党であり、ろくな死に方をしていない歴代の韓国大統領などが主導する扇動政治なのだろうと思います。確かにこれらは困ったもんです。

ほぼ、著者の意見に賛同します。
つまり、慰安婦問題・領土問題・南京大虐殺など。

戦後処理の問題なのですが、著者も明記しているとおり、1945年終戦の年、中華人民共和国も大韓民国も全く「存在していなかった」のです。

にも関わらず戦勝国面(づら)はおかしいよなあ。

本書の基本姿勢・タイトルを要約すると。

儒教は紀元前に孔子により起こり体系付けられた思想・学問もしくは宗教である。

しかし、それは秦の始皇帝により禁じられ、その後換骨奪胎されたものとして歴代の漢民族によって都合の良いように歪められて伝えられた。

それは超自分中心主義の中華思想としてのものであった。

また、その中華思想を受け入れ、歴代中華王朝の属国として、そのアイデンティティを確立した朝鮮半島の国もそれに続いた。

一方、日出づる処の国である日本は早々と中華思想を拒否した。

しかし、中華=世界の中心とする思想の中韓(呼び名便宜上)は、地理的にも遠方にある日本を一段低いものとして認識する伝統(?)を受け継いでいるので、なんとかして日本を貶めたいという思いがあり、あの手この手で難癖をつけてくるという・・・感じですね。

しかも、なんだかんだで国際的に認められてている日本がウザくて仕方がないということらしい。

最近は米国は中国を重用しているみたいですけどね。

さて、本書はこのような基本ラインにもとづき、具体例をこれでもかと挙げて構成されています。

最近はやたらと日本好きな外国人を取材して作成されるテレビ番組が目につきます。

別にいいけど、自画自賛が過ぎるように思います。観ていてケツがこそばゆいというか。

古くは「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という本がベストセラーになりましたが、それがテレビのバラエティのレベルまで降りてきて量産されると、どうも素直には観られない。

本書もやたらと日本人の自尊心をくすぐってきます。ちょっと居心地が悪い。ボクがひねくれいるのか。

しかし、著者も伊達や酔狂で長らく日本に住んでいるのではないでしょうから、本心で現在の平和ボケ(この言葉も頻出)の自虐的な日本人の風潮を黙って見ていられないのかも知れません。(本書は日本語で執筆されているのでしょうか。だとしたら凄い!)

ボクもある程度はそうです。ていうか、右よりと言って差し支えないと思います。
もっとも、明確な左翼以外、日本人は潜在的右翼であるとも言われますが。

なので、本書の内容は50%以上首肯できるものであります。

著者には近い内容の著作が複数あるようなので、それも読んでみたいと思います。

映画レビュー:この世界の片隅に


この世界の片隅に

この世界の片隅に

なんとかロードショー・ロングラン中に観に行く事ができました。

っつても、偶々安く観られる日で、いつもは映画観ない層(多分)の客でかなり混んでいて、年齢層が高い高い。一日一回の上映しかないせいもあるし。

なもんで、マナーが分かってない。上映中に続々と入ってくるし、席を立つし。どんだけションベン近いねん・・・と。

なんか、シネコンでこういう状況は久しぶり。いつもはガラガラな事が多いし、単館上映とかは映画好きばっかりでマナーが分かってるし。

ま、いいけどね。本来はこういうものだからね。


それはともかく、名画でした。

予想を上回るでもなく下回るでもなく、良品です。

なんか、のんの声を聴くと癒やされて涙が出てきました。

テレビを持っていないので、知らなかったのですが、一度テレビドラマ化されてるんですね。

主役のすずさんが北川景子って、どうなんでしょうかね。

すずさんは美人である必要ないです。心が美人ですけど。

こんなポヨポヨした絵でこれだけリアリティのある戦争が描けるんですね。

背景が凄いです。
当時の広島・呉の街並みを、良くこれだけ調べて描いたもんだと思います。

人物がユルめに描かれているので、そのコントラストでより一層引き立ちます。
水木しげる的な効果ですね。

かなりショッキングなシーンもあります。

「はだしのゲン」的な。

原作は読んでいませんが、読んでみたくなりました。

作ってくれてありがとう的な映画だと思います。

しみじみと良さがにじみ出てきて、これからもさらに広がっていくような。

読書レビュー:海と毒薬


著者 : 遠藤周作
新潮社
発売日 : 1960-07-19
映画公開時、鑑賞することができず、それ以来気になっていた作品ですが、今回の「沈黙ーサイレレンスー」公開により引きずられて読了しました。

ネタバレになりますが、プロットは有名なので、ある程度記載しても良いかと思います。

これは太平洋戦争中に起こった、九州大学生体解剖事件がモデルとなっています。

日本軍に撃墜されたB29の乗員米兵が捕虜となり、死刑判決を受けますが、通常の銃殺刑ではなく、生体解剖の犠牲になった事件です。

第二次大戦中の非人道的な生体解剖を扱った作品としては、大ブームとなった、森村誠一の「悪魔の飽食」シリーズがあります。ボクも読んだ当時に大きなショックを受け、トラウマとなった作品です。

「悪魔の飽食」はあまりに内容が直截的で、かつての帝国軍人に対する礼を失するというような激烈な批判に晒されたようです。

一方「海と毒薬」も発表当時、既に解決した事件に対する、さらなる過剰な断罪であるという攻撃があり、その後の遠藤の筆を鈍らせたような経緯もあるようです。

作品ないでは、九州大学とは書かず、九州のF帝大という架空の大学病院を舞台としています。いっそのこと九州ですらなくしても良かったのではないかと思います。

あまりにも非人道的な所業なのですが、舞台が戦争末期でもあり、モラルハザードも極まった感があります。

主に関わる若い医師二人にそれぞれの煩悶があり、この二人を主軸に物語は進行していきます。

おそらく、後にブラックジャックとドクター・キリコの造形にも影響を与えたのではないでしょうか。

翻って、同様に手術に関わった二人の看護婦はこの背徳的な行為に全く動じず、実に堂々としています。恐ろしいほどに。実際の医療現場でも、結構こんな感じなのかもしれません。

その他、権力側のエライ医師達と軍人たち。
特に軍人の感性は、現代では考えられない悪魔的な価値観です。

731部隊も南京も慰安婦も彼らなら躊躇なく実行するでしょう。

それが冷徹な武士道に通底するものならともかく、彼らは下卑た笑いを浮かべながら人権を蹂躙し、命の尊厳を否定します。
否、そこまでも思い至っていないのでしょう。

目の前の異国の兵士にも事情があり、これまでの人生があります。
彼らはそこになんの斟酌もありません。
葛藤があってこその軍人だとおもうのですが。

生まれた子供には未来が。老人には歩いてきた道の記憶が。
だからこそ、命は大切。

彼ら存在が創作の上の誇張であればと願います。

個人的に慰安婦問題は皆無ではないというのが、ボクの見解です。
あっただろうが、数の問題で盛りすぎじゃない?と思うわけです。

南京にしても、数十万人の死体をどうやって処理するのか。
本当であれば、明らかな物的証拠があるはずでしょう。
なので、もっとスケールを小さくすれば事件としてはあったかもしれない。
白髪三千丈の国の主張ですから、仕方ない。

その他、この物語には人間として唾棄すべき価値観を持った登場人物が複数います。

遠藤周作はキリスト者としての視点でこの物語を描いているのでしょう。

しかし、そのような視点を持たなくとも、「人」が善であるのか悪であるのか。
あるいは対立するものではないのか。考えます。

作者はこの小説の続編を執筆するつもりであったのですが、先に書いた批判に会い、それを諦めたということです。

読書レビュー:京都ぎらい


著者 : 井上章一
朝日新聞出版
発売日 : 2015-09-11
著者のことは比較的古くから知っていました。ブレイクする前から。
これほどの有名人になるとは思いませんでしたが。

様々なフィールドに造詣の深い人でありますが、ボクが知ったのはプロレス者(もの)としてでした。
まだ、プロレスが日陰者の存在であったころからですね。大方30年くらい前でしょうか。

兵庫県西宮市に鹿砦社という出版社があり、その会社が出していいたのが、知る人ぞ知る「プロレス・ファン」という冊子でした。

多分、創刊の原動力となったのは、当時まさに日本プロレスのエポックであった旧UWFであったと思われ、毎号の表紙には藤原喜明や佐山サトルのイラストが載っていたことを記憶しています。

そこによく寄稿をされていたのが井上章一先生。その頃はプロレスネタについて硬派に理論武装した人は、週刊ファイトの井上(I)編集長くらいしか存在しなかったように思いますが、京大出身のプロレス論客として、その名を心に刻んだのであります。
尤も書かれていた内容は、ほぼ何も覚えていませんが・・・

本書にも少しだけプロレスに関することが出てきます。それも、株式上場を狙っている新日本プロレスなどではない、ドマイナー団体のある選手の事で、いかにも井上先生らしいです。詳細は本書でどうぞ。

井上先生自身はボク達「外部」の人間からすると、嵯峨に生まれ現在は宇治に住まわれるド京都人なのですが、本書を読むとそれが100%否定されます。

端的に言うと、洛外に生まれ育ったものは京都人とは自他共認められないということだそうです。この「他」というのは、つまり「洛中」に生まれ育った都人(みやこびと)のことです。

この洛中洛外の人達の間だけで認識される感性に基づくもので、ボクも含めた都以外の人たちからすれば理解しがたいヒエラルキーがあるらしいのです。

大阪人のボクも薄々は「洛外のお人は京の人間やおへん。」という、京都人の言外の態度は知っていましたが、ここまでとは思いませんでした。

前の戦争というのが一般的にはWW2を指すのに対し、その戦災を免れた京都人は応仁の乱の事を言う、というのはジョークだと思っていたのですが、あながちそうでもないようです。

そんなトンデモ常識がまかり通っている(いた)京都の特殊な状況を冷静に面白くまとめた佳作です。

といっても、井上先生の視点も結構イケズで京都人の資格は十分にあると思うんですけどねえ。対外的に京都人と言われることに真剣に怒っておられる井上先生です。

※本書ではここに記載したような内容ではなく、しっかりとした知識と資料に基づいた表現が用いられ、この駄文はボク一流の表現であることを付記します。

読書レビュー:知の仕事術


著者 : 池澤夏樹
集英社インターナショナル
発売日 : 2017-01-12
敬愛する(といってもまだまだ良く知らないニワカですが)池澤夏樹さんの仕事術公開本。

SNSの話から始まりますが、ご本人は自身の事を語るなど、こっ恥ずかしくてできないそう。少し前からFacebookをROMっている私も同様です。

ただ、自己の記録として、WordPressによるブログのみは続けて行こうと思っています。それと、そこそこのフォロワーのいるツイッターは。

こういう知的生産の技術書というのは、昔から有名な書籍が何冊も出ています。知の先達たちが後輩のために親切にノウハウを公開してくれているのですね。

でも、わかっちゃいるけどついてけねー。というのが本音のところ。
それができれば苦労はない。継続は(天才)力である・・・と自己弁護で解釈しています。

それでも良いから、格好だけで良いからついていきたい。というので、同様な本にまたもや手を出してしまいます。

そしてもう一つ。基本は実践者の脳髄に帰結するのでしょうが、その時に応じたツールが出てきます。
本書は発行日が読書日と1ヶ月ほどしか違いません。まさに湯気の出ている新刊書でしょうか。なので、現在進行系のツールの解説も適切に行われています。
特筆すべき事として、著者は最初にワープロ原稿で芥川賞を受賞した人。創作のIT化に最初期に取り組んだ人でもあります。現在使用しているデバイスもiPhone6sPlusだったりして、ボクとおんなじ。

でも、あまり具体的に手取り足取りという紹介はありません。執筆にどんなソフトを使っているかとか。まあ、Wordのネタとかは出てきますが。

仮にアプリケーション名を挙げたところで、すぐに淘汰されてしまう(ドッグイヤー)運命ですから。私達自身がそこはさがしていくところでしょう。

最新の技術状況を踏まえつつ、外堀の埋め方をレクチャーしてくれます。
古典の読み方。紙の本と電子書籍の使い分け。等々。

フィールドワークのノウハウはまるでハンティングに行くよう。
で、シンプルイズベストですね。

日々身を削るように仕上げる執筆作業が目に浮かぶようです。膨大な資料を選択し、読破し、必要な部分を抽出し、作品に仕上げていく。産みの苦しみ。

そして脱稿した暁の爽快感・カタルシスは癖になると語っています。

私も掌編で良い(とはなんだ!)ので、創作チャレンジしてみようと思わせてくれる一冊です。

 

映画レビュー:沈黙 サイレンス


沈黙 サイレンス
オフィシャルサイトより加工転載

沈黙 サイレンス ※ネタバレあるかも・・・

かなりヒットしているようです。

2週間ほど前に観ました。

その前に公開されると聞き、原作小説を読んでみました。

私の中学時代には、「どくとるマンボウ」派と「狐狸庵先生」派がいたように思います。

といっても、北杜夫については、中学生時分なので「白きたおやかな峰」や「楡家の人びと」などの純文学は手が届きませんでした。
読んでいたのは、もっぱらどくとるマンボウシリーズその他の滑稽小説。

狐狸庵先生・遠藤周作はネスカフェのCMの印象しかなく、映画化された「海と毒薬」などは気になっていたのですが、全く未読の状態でした。

で、今回始めて狐狸庵先生ではない、遠藤周作の代表作とも言うべき「沈黙」を読んで、打ちのめされたわけです。
はい、こんなに凄い小説家だったんだ。

隠れキリシタンへの迫害については、「青い空」などその他の作品に多数出てきます。

胸のムカつく所業の数々。

為政者にとって、「宗教」は諸刃の剣。コントロール不可能に陥れば、己と己の築きあるいは護るべき既得権が脅かされる存在です。

それは分かるのですが、ローマ皇帝ネロの時代から、なぜここまでキリスト教のみが迫害されるのでしょうか。迫害体質?
キリスト教同志の内紛もありましたが。

大体日本人の宗教観はファジーです。
神と仏をごちゃ混ぜにして、怪しまない。適当。
だからそれほど問題も起きない。
坊主がキャバクラに行っていようと、あまり咎める人もいない。

そこに一神教たる(シャレの通じない)キリスト教が入ってきたもんだから、当然のごとく排斥されるわけです。

この物語の舞台は長崎県。そして五島列島。

行ったことないけど、キリスト教徒の多い土地柄みたいですね。

寅さんが五島に行ったときも、教会が出てきたし。

この映画は原作を読んでから観たほうがいいやつだと思いました。

結構小説を忠実に再現しており、緻密な臭うような描写の原作を体験した方が映画がわかりやすいと思います。

迫害されて食うや食わずの日本人キリシタンは、メイクなどでリアルに汚している部分は多いのですが、なかでも凄いのが塚本晋也の大減量。
アメリカで栄養士についてもらって痩せたそうです。
監督の副業かとも思っていた塚本晋也ですが、俳優としても命削って挑んでます。
映画に掛ける情熱を考えればそれもむべなるかな。
最近、「シンゴジラ」といい、俳優として大活躍ですね。

主役はスパイダーマンのピーター・パーカーを演じたアンドリュー・ガーフィールド。マッチョじゃない派のハリウッドスター。

キーパーソンだけど、あまり出番のないのがリーアム・ニーソン。長い間日本にいて日本名もあるのに、日本語のセリフは一切なしというのもどうなのか。

ほぼ主役に近いポジションにキチジローという貧しい漁師(?)がいます。転びまくっている信者で、演じるのは窪塚洋介。

存在としては、鬼太郎のねずみ男にそっくりです。

原作を読んだイメージとしては、キチジローはもっと貧相で小柄なブ男かと思っていたので、窪塚洋介ってどうよと思ったのですが案外はまっていました。

一瞬しか映らない中村嘉葎雄。エンドロールでやっぱりそうだったかと確認。

それいるか?という帝王・高山善廣。

中村嘉葎雄にセリフがなく、一言だけとは言えセリフのあった高山。

しっかりとした俳優にはセリフがなくても演技をまかせられるということでしょうか。

当然ちゃあ当然なのですが、ヘンな日本描写はない。日本人スタッフの頑張りもすごい。

一箇所だけ気になったシーン。

ハリウッド映画で剣(特に日本刀)を鞘から抜く時。
刀同志を合わせる時はともかく、抜刀・納刀の際にも”シュリーン”という効果音が入ります。
明らかに金属同士がこすれる音。鞘は木製なので、そんな音がなるのはおかしい。
というか、多分無音でしょう。
どうしても効果音を入れたいのでしょうね。一箇所そんなシーンがありました。
・・・よ、マーティン。

アメリカも日本も出演俳優が凄く良いです。

二時間半、まったくダレずに観ることができました。

★★★★★

戸川純LIVE!!


11月16日。少し前ですが、戸川純ちゃんライブにいってきました。ゲルニカ時代から好きだけど、ライブに行くのは初めてでした。
場所はOSAKA AKASO。昔のバナナホールですね。

私はパニック障害で人、の多い狭い空間は全くダメだったのですが、最近は大分とましになってます。

戸川純ったって、今日日はそんなに集客ないだろうと思ってたのですが、豈図らんや、どんどんと入ってきております。
結果、かなり前の方で鑑賞することができました。もちろん、オールスタンディング。

客層は当然結構年齢高めですが、20台前半ぽい女の子なんかも結構いるようです。

余談ですが、LIVEの最終近く、前にいた若い女の子が急に貧血かなにかで倒れて、間一髪後ろから支えました。
その後、大丈夫ということで笑顔もみせてくれてたので一安心です。

登場した純ちゃんは、ネットの噂通り、かなり増量しておりました。
でも、やはり戸川純は戸川純。滑舌の悪さに磨きがかかっているにも関わらず、MCもたっぷり。長州力レベルではあります。

腰も悪くしているらしく(なんとかその情報は聞き取れた)、ほとんど座ったままのパフォーマンスでした。
にも関わらず、オーディエンスを引っ張っていく力はさすがです。

最近の活動はそんなにチェックしていない(あまりない?)ので、知らない曲ばかりかなと思っていたのですが、ゲルニカ時代の曲や昔の楽曲を多く演やってくれたので大満足。
まさかの「眼球綺譚」に始まって「バーバラセクサロイド」「蛹化の女」「諦念プシガンガ」などノリノリでした。

アンコールは「パンク蛹化の女」。
このときだけは純ちゃんもさすがに立ち上がってくるくる回っておりました。
これをやられた日には、満足して帰るしかないですわね。

全体的にお腹一杯になった好ライブなのでありました。

まもなく35周年ライブもあるみたいです。

読書レビュー:~遊郭経営10年、現在、スカウトマンの告白~ 飛田で生きる


飛田新地。最後の遊郭と言われる場所。
橋下さんが顧問弁護士を勤めていたとも言われる。

この地のルポとして、かつてこの本「さいごの色街 飛田」の書評を書いた。

しかし、飛田は取材など基本的に受け入れない。
本当の姿は描かれない。
これだけ海外からの旅行客を受け入れるようになっても、ネット発信なども拒絶している。
中国人客はここでも相変わらず嫌われているようだが。

この秘境とも言うべき飛田新地をなぜここまで具体的に赤裸々に描くことができたかというと、それは著者が元飛田の店舗経営者で、現在も女の子のスカウトマンであるということ。
つまり、昨今攻撃されている飛田の防衛に立ち上がったということ。

飛田遊郭(料亭組合)は、著書によると、厳然としたルールがあり、それに基づいて働く女の子を守っているのだとか。

人類最古の職業であり、どこまでいってもなくならないであろう風俗産業。

大阪府に関しては1990年の花博を機にソープランドが廃止された。

しかし、何故か飛田・松島などの風俗街はそのまま。

本書のあとがきによると、隣区・阿倍野再開発で建築されたタワーマンションの高層階から飛田遊郭が見渡せ、ネットの書き込みなどで悪所として攻撃されているのだとか。
併せて2016年11月現在、2025年に誘致予定の大阪万博開催に伴って、またもや危機に直面しているのかもしれない。

遊郭存続の危機に向けて牽制する意味での本書出版なのかも知れない。というか、当然その意図はあるでしょう。

それらを考え合わせても、よくできた本であると思う。

飛田で遊郭を経営するための段取り(資金など)であったり、女の子確保のノウハウなどが余さず書かれており、遊郭経営入門のような内容でもあります。
良くあるカフェやカレーハウス開業のノウハウ書みたいです。

しかも文章がうまい。私が関西人であるためかも知れないが、リアルな大阪弁でのやり取りもリズムよく進行していき、ダレさせない。

先述の飛田防衛意図があったにしても、悪所ならではの必要性。現在はかつての人身売買的な女郎屋とは一線を画し、働く女の子の将来や人権も考慮した「働く場所」であることを主張している。

勿論、身内や近親者がこのような場所で働くことを黙認できるかというと、確実に無理なので悩ましいところではあるわけであるが、一個の人格を有した成人女性が自らの判断で選択する場所としては存在しても良いのかなとも思う。

少なくとも個人的にはホストクラブにハマるよりは前向きかなと思うし。
と言っても、ホストクラブに入れ込んで、てっとり早く稼ぐために飛田にくる子も多いようだが。

著者は飛田での経験しかないので、他の五新地(松島・今里・滝井・信太山)や、その他かんなみ新地等については触れられていない。
他の新地が飛びたほど整備されているとは聞かない。飛田は段違いに生き残りに貪欲なようだ。

読書レビュー:サムライ 評伝三船敏郎


現在は渡辺謙や浅野忠信など、ハリウッドで活躍している日本人俳優も珍しくなくなってきた。

別にハリウッドを持ち上げなくても良いのだが、やはりマーケットや全体的な制作本数などでは特別な存在として良いだろう。

その中にあって日本映画=サムライという大きなイメージを作り上げたのは三船敏郎だった。

おそらく三船敏郎がいなければニンジャもサムライもこれほど大きなモチーフとはならなかったと思われる。
ケン・ワタナベもラストサムライもショー・コスギもタートルズもミフネが築いた礎に乗っかっている。

この本はほぼ三船敏郎礼賛と言ってもいい内容だ。
著者は松田優作の元妻。才能あふれる才媛だ。元女優でこのような評伝やルポでも良い仕事をされている。

で、女性なのに、三船敏郎の不倫や女性問題にはえらく寛容な筆だ。いいけど。

私などは後期のテレビ時代劇や東映への客演・ハリウッド映画への出演選択など、どうかと思うところもあるのだが、本書ではそれもミフネへの出演オファーウハウハのような書き方しかされていない。
「1941」などは当時愕然として観ていた記憶がある。
逆にやっぱり「STARWARS」には出てほしかったなあと。アナキン役らしいし、そうなったら、その後のシリーズも今とはえらく違ったものになってたでしょう。

最晩年の認知症のくだりは、当時写真週刊誌かなにかで見た記憶もあるが、痛々しい限り。
それを追いかけて誰が得するのでしょう。マスゴミなどといわれても致し方のない所業です。
そういう意味では最後までかっこよかった健さんと文太兄ぃは凄かったですね。

映画レビュー:健さん


健さん
「健さん」映画チラシ

健さん讃歌のドキュメンタリー映画。

ただそれだけ。これがNHKあたりの特番であれば良いのだが、劇場用映画としてはいかがなものか。

私も高倉健は大好きです。でなけりゃ観に行きませんわね。

この映画では高倉健ゆかりの著名人(でない人もいるが)のインタビューで構成されています。
ひたすらインタビューの編集です。たまに高倉健の生前の声も入ります。

私達ファンが雑誌やネットなどで知りうる高倉健像を上回るものではありません。

新たにジョン・ウーやマイケル・ダグラス、マーティン・スコセッシなどの社交辞令的な健さん称揚は若干目新しいですが。

映像としては、「ザ・ヤクザ」と「ブラック・レイン」の二本だけだったと思います。どちらもアメリカ映画ですね。
東映や東宝は許可出なかったのか。使用料としてはハリウッドの方が高いと思うけど。

健さんは勿論「高倉健」を演じていたのです。そんなことは分かっています。
この映画はそれを確認しただけで、それ以上のものはありません。

小田剛一ではない高倉健にだって、批判される部分はあったと思います。
それをこの作品では全く取り上げません。
別にそれはそれで良いでしょうが、物足りないのも事実だし、劇場に足を運ぶだけの価値は感じません。

個人的には多数演じたヤクザ映画の影響等をどう処理していたのか。
山口組のイベントに招かれたこともあったと記憶しています。

「健さん」を映画にするなら、もっとやりようもあったはず。

なぜ、あまり接点のないジョン・ウーなのか。チャン・イーモウは断られたのか。

もう一人、ほぼ時を同じくして亡くなった東映のアイコン菅原文太との対比は。

いろいろと言いたいことは出てきます。

★★