この時代に限ったことではないが。
「無私の人」「メザシの土光さん」と呼ばれた傑物。
その面構えはなんとも言えず、格好いい。
決して孫さんや柳井さんが(ホリエモンや三木谷氏は置いといて)ダメなんということはないのだが、やはり比べてしまうと何枚か落ちる感じ。
数多ある土光敏夫関連の書物から、その語録を100に厳選して抜き出し、時代背景などを交えてまとめた良書。
未曾有の不況と東日本大震災及び原発禍の今、原発を引っ張ってきた立役者として、泉下でさぞかしお怒りのことと思われる。
信頼出来る人に指示を出し、常に「全責任は俺がとる」と言ってきた人だ。
土光敏夫、一本通った太い筋がブレないということにおいては、最強。
良く「頑固」という言葉を形容詞として使う。
これは「頑迷固陋」の略だと考えているのだが、どうだろうか。
で、あれば、良く逆説的な褒め言葉として使われるのはおかしい。
だが、「頑迷固陋」から「迷」と「陋」を外した意味であると考えられるのであれば、それはそれで良いとも思う。
ここではポジティブな意味としよう。
鉄人の様な”頑固”さだ。
決して頑迷固陋ではない。それどころか、その全くの反対側にいた人。
進取の気性に富み常に率先垂範、労使交渉ではガンガンにやりあうがあくまでも労働者の味方。
そして、超フェミニストでもある。(ここがいい。おそらく、尊敬する母を見ていたからだろう。)
やはり、頑固というのは当てはまらないかもしれない。ポリシー自体は曲げないが、新しいことはどんどん取り入れ、方法論的にも常に新機軸なものを推進する。
良く、「政財界」という言い方をするが、財界に身を置きながら、政治家嫌いを公言しまくった。
田中角栄を「コンピュータ付ブルドーザー」と呼んでいたが、それはむしろこちらに当てはまるのではないだろうか。
この本に記載されているような発表されていることを全て鵜呑みにはしないまでも、大きく外れることはないだろう。
この人の人生を歩めるかというと、絶対にムリだし、歩みたいとも・・・思わない。と、敢えて言っておこう。
仕事が趣味というか、仕事が全ての91年の生涯だったらしい。
尊敬に値する方であることは論を俟たないが、価値観を共有することはできない。
美食を楽しみたいわけではない。しかし、土光さんの「老後をブラジルに渡って夫婦でのんびりと畑仕事でもしたい」という最後のあまりにもささやかすぎる夢すら叶えることはできなかった。
これはあまりにも悲しい。
終章にまとめられた「土光敏夫のDNA」は感動的であり、先述のの大不況と天災(人災)に打ち勝っていかなければいけない現在に一筋の光明をみる思いである。