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読書レビュー:「歪んだ経済」で読み解く中国の謎


歪んでいるのは経済だけではないと思いますが、現在の中国は経済抜きに語ることはできません。

著者は新聞等の解説などでお名前を拝見しますが、本を読んだのは初めてでした。

すでに日本に帰化しておられるのですね。あまりにも日本寄りな切り口に、さもありなんです。そこまで言っていいの?という感じで。

現在はネットの普及や経済成長に伴う、海外旅行の体験から、とっくに閉じられた情報ではない中国です。

この石平さんの発言も逐一中国語に訳されて、ネットに出回っているとのこと。

本書に出てくる話しではありませんが、新唐人テレビなどはニューヨークに本部を置いて中国語で発信しており、本国の検閲も受けないらしいです。

中国の経済破綻もカウントダウンに入っているとかは、新聞・ネットでもかなり以前から言われていますが、どうなんでしょうね。

中国富裕層の海外流出が止まらないとか。中国共産党は有事の際には財産を守ってくれないのが見えてるという理由です。

当然、金を持っている中国人民は良いものがほしい。

となると、海外製品である。直接日本や欧米諸国に買いに行く。中国国内消費は伸びないまま。

人民の経済格差もどんどんと広がって行く。

不満が爆発。発展に伴うジレンマ・負のスパイラル。

で、とりあえず、共通の敵を作ってしまえ。一番手っ取り早いのが加害敗戦国家「大日本帝国」だ・・・と。

本書によると、反日デモの際、集まった人民は反日云々でもなく、日頃の鬱憤晴らしに参加しているようです。現在の出口の見えない経済格差よりも、みんな平等に貧しかった鄧小平の昔を懐かしむ人が多いそうです。

はっきり言って、尖閣諸島など、明日の、いや今日のメシと較べたらどうでもいいことでしょう。

本書に明記されていることで重要なポイント。中国においては政府も軍も関係ない。何が何でも共産党そのものが唯一絶対の存在であるということ。

これが共産主義という一神教の宗教であれば良かったのですが、それが求心力を失いつつある今、もっとはっきり言えばITによる情報の共有化・コモディティ化で、その神通力を失いつつある今、不満の噴出を抑えられずに一気に崩壊しないのが、むしろ不思議ですらあります。

中国経済の失速は止められないのでしょう。

手負いの巨龍は怖い存在です。

素人目に見ても、アンバランスに成長した国家ですから、ムリがくるのも当たり前かと思われます。

それはともかく、東アジア全域で考えると、暢気に構えている場合でもありません。

運命共同体的な部分も少なくい、と言うか大いにあります。

特に中韓について言えることですが、あまりにもお互いのメンタリティの差をおろそかにし過ぎではないでしょうか。「お互いに」です。ある意味近親憎悪とも言えます

ネットなどを見ていても、ヒステリックになりすぎているのは否めません。

それは欧米や中東(特にイスラム圏)なども同様なのですが、やはり隣国なので。

「日本人は、古代中国には深く大きな尊敬の念を抱いているけれど、現代中国(第二次大戦後に建国された中華人民共和国)には敬意を持てない」というのが大方の意見のように思います。

読書レビュー:テトラポッドに札束を


このタイトルは、あれですね。「アルジャーノンに花束を」からですね。

著書の中で、漫画やSFが好きだと何度も書いているので、おそらく、「アルジャーノン」も好きな作品の一つなのでしょう。

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作者はかなり重度の身体障害者です。首から下が麻痺しており、殆ど動きません。

生まれつきではなく、12歳の時に、海に飛び込んだら見えないテトラポッドがあり、頭から激突。頚椎を骨折して障害を負ったとのこと。

考えるだけで恐ろしい事故です。

現時点でまだ、25歳。高校生の時にネット起業し、大金を得ます。アフィリエイトがメインのようですが、様々なビジネスを行っているようです。

体が動かないのですから、当然、アイデア勝負であり、PC・ネットというツール・インフラを最大限活用してマネタイズしていきます。

現実に収益を上げているのですから、まさに錬金術。

かつては察することもできない、どん底の絶望でしょう。

実際、本書でも絶望と希望のバランスについて触れられています。

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アフィリエイト・情報商材というのは非常に胡散臭い。儲かったところで、その再現性にも疑問があります。

と、いうような言い訳?で、避けて通ってきたようなところもあります。

いや、情報商材などは、感覚的には99%が詐欺まがいでしょう。

そのような経験もあります。

著者はそんなことは自明の事で、分かった上でエネルギッシュに踏み分け踏み越えてていきます。歩けるわけはないのですが、バイタリティに押し進んで行く様が目に浮かびます。

乙武さんではないですが、バーチャルな世界だけではなく、リアルな世界にも超積極的に出ていき、多くの人とふれあいます。

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語り口が極端で毒舌に感じることもあります。

曰く。

嫌われても構わない。嫌われる代わりにその分シンパも増えていく。嫌われることを恐れていては、始まらない。半ば確信的に嫌われるようにもしている、と。

体が動かない分、考えて考えて考えて考えぬいた結果なのでしょう。

確かに鼻につく部分はあります。昔、ホリエモンに対して感じた「イラツキ」を覚えるというかw。

資本主義と共産主義をそんなに簡単に断じられてもなあ。この本全体でも薄くて、普通に一気に読める分量なのに。  などであったり。

しかし、結果を残している人はそれだけの説得力も持ちます。

何より、嫌な部分も包み隠さず出しつつ、非常に単純明快に自分の生き方・やり方を説いていきます。

優れた人ではありますが、何と言ってもボクよりかなり年下。

それはなあ・・・。みたいに感じる部分もあります。

ポイントとして、3つ上げる式の書き方が多いのですが、結構、単純で普段からそのようにしていることだったりします。

当然のことがなかなか難しかったりはするのですが。

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気づける人間になるための三か条。

抜き書きさせて頂きます。

(1)人をバカにしないこと

(2)必ず質問をすること

(3)わからないことは必ず調べること

ん〜、これだけ書くとなんだそりゃ、ですが、特に(1)は気の緩みからつい、おろそかになりそうです。

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もちろん、本書は全部賛同できる内容ではありませんが、次世代の可能性を感じさせる人だとは思います。

Facebookなども見てみてください。

読書レビュー:「在日」 姜尚中


著者 : 姜尚中
講談社
発売日 : 2004-03-24
確かに。

在日コリアンには、ダブルスタンダードな生き方を選ばざるをえないのかもしれない。

本書の内容、自伝の部分は多少ドラマチックな切り方があるかも知れないけれど、赤裸々な葛藤の真実だと思います。

どうしても韓国人の気質として「火病」と言われるような、ヒステリックなイメージがつきまとう。

あながちステロタイプとも言えないように感じます。

一方姜尚中は、テレビでしか見たことはないけれど必要以上にトーンが低く、ウィスパーボイスとも言える、感情の起伏を見せない、常に論理的な語り口と佇まいです。

意識してそうしているのでしょうか。

この自伝の中では、秘めたるマグマのような静かな熱さを感じます。

事実、学生時代は運動家でもあったとのこと。

先ほどのダブルスタンダード、ネットなどでは「二枚舌」とも書かれています。

日本国内での本書のような発言と、韓国マスコミに向けた発言内容との差があまりにも激しすぎるせいでしょう。

しかし、テレビで美術・絵画の解説を穏やかにしている姜尚中が本来の彼であり、本人も望む自分自身であるような気がします。

だが現在、未だそれはつかの間のことであり、許されないことなのか。

在日の「作られ方」、生き方。

諦念にも似た、「在日とはなにか」をまとめた本かと思います。

好きなのですが、シンパシィは今ひとつ得られない。

便所の神さんの話し


toilet2013.10.8

※一応、尾籠かもしれませんので《注》

唐突ですが、思い出したので、自身の備忘録として。

何年か前に「トイレの神様」という歌が流行りましたね。

長い歌で、ちゃんと聴いたことはないのですが。

歌ったのは植村花菜という人。

この人も関西のコなので、「便所の神さん」の方がしっくりくるんではないのかな。

世代が違うか。

関西では神ですら「様」ではなく「さん」づけ。フランクですね。


ボクは両親が共働きだったので、同居している祖母に育てられました。ばあちゃん子です。

躾け(かなり祖母の独断ですが)に厳しい人でした。大体比較対象が、南方の兵隊さんなので、閉口するんですが。

しかし、なもんで、今でも姿勢の良さでは褒められます。口うるさく言われましたから。

そんな中で良く憶えているのが、「便所の神さん」の話し。

日本は八百万の神がおられるので、何にでも神さんが。

もちろん、便所にもいらっしゃる。

「トイレの神様」歌の中では女神ということになってますが、それはどうなのか知りません。

昔の便所なもんで、小便器と大便器に分かれていました。

まあ、そんなことをしているわけではないのですが、将来のために、祖母は教えてくれました。

便所には神さんがいてはる。その神さんは右の肩で小便を受けられる。左の肩で大便をお受けになる。

便器に向かってツバを吐くと、神さんは受けるところがないので、仕方なく顔でお受けになる。

神さんの顔に向かってツバを吐くなど、とんでもない不敬なことである。だから便器にツバを吐いてはいけない。

子供だし、便器にツバを吐くなどということもしたことないので、あまりピンとはきませんでしたが、その話は非常に克明に胸に刻まれました。

長じて駅の便所などで、ツバを吐いているオッサンの多いことに気付きました。オバハンがどうしているかは知りませんが。

便所にツバを吐く行為の無作法さを戒めるための教えだったのですね。

そういう無作法を見る度に思いだします。

もちろん、ボクはやれと言われても体ができないと思います。

風呂場にも神さんはいます。こちらはおしっこしてはいけないバージョンですが。

ガォーさん」や「鬼から電話」アプリみたいな圧迫的な躾けは考えものですが、祖母の躾けは現在でも有難く思っています。


ところで。

悪酔いとかでリバースする際、トイレに駆け込むかキッチン・シンクに向かうか。結構意見が別れるみたいですね。

この「便所の神さん」の話しに則るのであれば、当然シンクですが。家ならともかく、外飲みの場合はやはりトイレですねー。

どうですかね。

芋づる式


2013.10.6

先日、激烈な歯痛を経験し、それが出先であったため地獄の苦しみ&周りのみなさんにご迷惑をお掛けしたのですが。

で、とりあえず、最寄りの歯医者へ駆け込んだわけです。
この件は先日書きました。

 

そんな感じなので、一旦入れていた予約をキャンセルし、元の信頼できるお医者さんに予約を入れなおし。

【豊中永楽荘の宮田歯科です。】

もうすぐ予約日だと思っていた矢先、朝起きたら問題の上の奥歯に違和感が。

それほどの痛みはないけれど。

数時間後に気づいたのですが、奥歯が縦に真っ二つに割れてグラグラしている感じ。

これははるか昔・・・そう、乳歯が生え変わる時の記憶が蘇ります。

つうか、逆に歯にとっては死刑宣告ですが。


そして、土曜日の予約当日。

やはりこちらの先生は安心できます。

事情を説明し、診察後。

これは・・・ちょっと大変ですねえ、とのお言葉。

予想はしてましたが。

でも、非常に良いタイミングで来てくれた、とも。

このまま週明けまで放置すると、より一層取り返しがつかないことになってたらしい。

割れた歯をとって、神経を抜き、かぶせてくれました。

かなり奥(顎の骨)までバイキンが入っているので、それをまず薬でやっつけるしかないらしい。

いろいろと施術の前に説明をしてくれるし、こちらの質問にも非常に丁寧に答えてくれる良い先生です。

処置を行う前にレントゲンを撮ったのですが、その写真を見ながらの説明が「?」。

歯はともかく。

慢性の鼻炎ですねと。

(゚Д゚)ハァ??

いや、今まで自覚もないし、そんなこと言われたことない。

しかし、本来レントゲンに黒く映るべき鼻の下辺が白く写ってる。

これは炎症を起こしているからだと。

(´ε`;)ウーン…

そう言えば、昔から良く鼻詰まりにはなってて鬱陶しかったし。

最近は洟水の量もやたらと多い。

ランニング中とかはしょっちゅう手洟かみながらずっとベランメェな感じで走ってます。

かと言って、花粉症や鼻炎・アレルギーの人と比べたらどぉってことないくらいかと思いますが。

歯はもちろん、引き続き直してもらいますが、鼻炎。

完全に専門外だし。

かと言って、この程度で専門の医者に行くのも嫌だし。

ネットで検索すると、鼻うがいが有効とか出てます。

これは昔から好きで良くやってました。

でも、水が鼻の奥に残るんですよね。

結構大量に。

それが忘れた頃にジャジャーと出てくる。

外だと困るし恥ずかしい。

それで、あまりやらずにいましたが。

ちょっと又やってみましょうか。

本物の(?)鼻炎で苦しんでいるみなさま。どうも済みません。

読書レビュー:血と骨


著者 : 梁石日
幻冬舎
発売日 : 1998-01
すごい小説です。

梁石日の父親がモデルらしいのですが、どこまでがフィクションなのか、あるいはほぼ事実なのか。小説の持つリアリティとしては、もはやどちらでも良いのかもしれません。

ページを破ると血と内臓が出てきそうな、そんな小説です。

この長さで、良くこれだけの登場人物と大小のエピソードをぎゅうぎゅうに詰め込んだものです。

登場人物名について、ロシア人ほどではないですが、朝鮮名では誰が誰だかわからなくなります。

描かれる視点が状況によって変わっていき、主人公が誰なのか、誰の視点で感情移入すれば良いのかという点にも、読んでいて翻弄されます。

誰か一人を主人公に、というのであれば、やはり父親・金俊平でしょう。金俊平が大きな幹となり、全てを突き破る邪悪で粗暴な巨木の周りに身内や周辺の登場人物たちが否応なく巻き込まれていきます。

この主人公の特異性は、国籍や時代にはあまり関係ないでしょう。今の時代にどのように生きていけるかは分かりませんが、どの時代であっても社会に適合できることはないと思います。

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読んでいて思い出したのが、「じゃりン子チエ」。

作者の梁石日と、はるき悦巳はおそらく同じ空気をある程度吸っていたのではないでしょうか。

大阪市の生野区と西成区。

かまぼこ屋とホルモン屋。

又、「じゃりン子チエ」には「男はつらいよ」に対して相似性を感じます。さくらを主人公に大阪を舞台にした「男はつらいよ」。ずっとそんな気がしてました。

テツに対するのは寅さんです。

一方、こちらの「血と骨」の主人公・金俊平は”リアル・テツ”という感じ。

生まれつき粗暴で、偏狭な価値観を持ち、金に汚く、ヤクザもビビって逆らわない一匹狼。

違うところはテツは女性に対して極端に純情である(ここは寅さんと一緒)のに対し、金俊平は強姦などもなんとも思わない鬼畜の性欲モンスター。

この点はテツとは大きく異なります。

遠慮せずに言えば、本作の主人公には一片の共感も持ち得ないし、まさに唾棄すべき人物ではあります。

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読後にはなんとも言えない感情が残ります。

できれば、是非とも読んでもらいたい小説なのですが、内容や表現があまりにもリアルで、作中にも度々使われる表現「汚穢」が、形而上形而下にこれでもかと描かれます。耐性のない人には辛いかもしれません。

映画レビュー:寝ずの番


 

nezunoban2013.9.21

原作 中島らも。

多くの作品の中でも中編です。かなり以前に読んだので、内容を忘れているのですが、かなり違うような。

最初と最後だけ原作で憶えてます。

なぜ、これをマキノ雅彦(津川雅彦)が映画化しようとしたのか、わかりませんが、良いセンスだと感じました。

しかも、これを実兄の長門裕之で。

レビューの中には下品という意見も多いようです。

確かに最初にR指定が出てきます。隠語のオンパレードなんですが、演じている俳優陣が良いので、ボクには下品とは感じませんでした。

中井貴一がきれいな声と持ち前の品で歌い上げる猥歌は下品さを感じさせません。

集められた俳優陣が好みでもあるのですが、みんなが監督の方を向いて、この映画を良い物にしようという姿勢が見えます。

長門裕之演じる老落語家は、明らかに六代目笑福亭松鶴。

劇中で長門裕之と笹野高史が少し落語を演じますが、さすがの名演。全部通して聴いてみたいと思わせます。

石田太郎演ずる小田先生というのは小佐田先生でしょうね。

石田太郎が違和感なく関西弁をしゃべるので調べてみたら京都の人でした。

なぜ、堺正章が出演してるのかわかりませんが、堺正章を見直す機会にはなりました。

しかし。

ザ・スパイダースの堺正章とザ・タイガーズの岸部一徳。

世代は同じはずなのに、片方は長門裕之の恋敵で片方はその息子の役回りというのは面白いですね。

中島らもの小説は、仕入れたネタをあまり加工せずに披瀝するというパターンが、割りと見受けられます。

中でもボクの好きなプロレスや落語について。チョット気になる。

この小説もそのような嫌いがあり、少し問題にもなったようですが、映画は小説を再構築し、原作を越えたと思います。

それはマキノ雅彦監督と演技陣の成果だと思います。

★★★★★

FM vs. AM


テレビからの回帰

ラジオの話しです。

テレビをあまり観ない。積極的には観ないという話しをしました。

その一方で、ラジオは結構聞きます。

車に乗っている時も。

普通のラジオはAMとFMの2つの強さの電波があります。

株とかやってる人は短波放送とか聞いてましたが、今どきはネットですね。

で、内容の濃さを平均すると、やはり段違いにAMなわけですが、内容があるだけに作業中とかに聞いてるとそちらに意識がいってしまいます。

なのでFMとい選択肢。

ある悪友はAM派。

ボクも昔はAMを良く聴いていました。1日じゅう毎日放送を流していたこともあります。

亡くなった川村龍一さん(歌手じゃない、ヤングオーオーの最初に出てきた人)から浜村淳⇒馬場章男⇒角淳一⇒野村啓司⇒諸口あきらという流れ。

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DJってなんだ?

上記の番組などは、しゃべくりのプロなので、やはりつい聴きこんでしまう。

運転中とかはいいけど。

この人たちはラジオパーソナリティーとか言われてます。なんか良くわかりませんが。

一方FMは最近ナビゲーターとか言ってますね。

DJとかはクラブのイメージもあるからかな。

でも、養成スクールとかでは、やはりDJ=ディスクジョッキーって言ってますね。

スピーカーとしての力量では、当然AMが上なんですが、逆にそれが良いんですね。

喋らなくていいから音楽を流してくれれば。

言わば有線放送の変わりですね。

なのに、やたら喋りたがるDJがいます。

ちゃんとしゃべくりが芸になってりゃまだしも、グダグダなくせに。

スベリ芸的に確立してる人もいますけどね。

それはともかく、言葉を知らないってどういうことなんですかね。

商売道具でしょうに。

そうかと思うと、FM京都の佐藤弘樹さんのように、それこそ言葉のプロフェッショナルとしての名人芸を披露してくれる人もいるにはいるのですが。

ボキャ貧な上に、平気で間違った情報を流してる人もいますね。

直後にリスナーからメールやファクスが入って、シレッと訂正したり。

「ああ、さっきのは違ってました。じゃあ、間に合いますね、良かった良かった」みたいに。謝りもしない。

訂正すりゃ済むと思ってるようです。

一体、公共の電波をなんと心得てるんでしょうかね。

AMだったら、局のアナウンサーがしっかり謝罪する場面です。

まあ、そもそもがあってもなくても影響ない時間潰しみたいな番組ですけどね。ろくに下調べもしてないなと感じることも多い。なんか商店街のお知らせみたいな。

FMも好きなんですが、AMよりも地域が限定されるからか、あまりにもいい加減なのが目(耳)につきます。

それが証拠に広範囲で放送される東京FMなどは、ずっとしっかりしてますもんね。

やっと走りやすい季節です


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台風一過

のあと、初めて走りました。

走り始めて道路が樹の枝だらけ。なんだこれは、めっちゃ走りにくいと思ったのですが、台風の後はいつもこうなのを思いだしました。

ひどい時は枝じゃなくて、木そのものが道路を塞いでいたりする。

しかし、ここのところ、日が暮れると温度が下がり、ランニングには最適な季節です。

ていうか、真夏の炎天下にも走らずにはいられないランニング・ジャンキーになってる状態です。

合法的に脳内ドラッグまみれになれる至福というか。

気をつけないと死ぬけどね。


多少、ストレスも

夜に走るので、キャップのツバに小さなLEDライトをつけています。

歩行者がライトを点けてるというのに、無灯火の自転車がまだ多い。ましにはなってきましたが。

歩道上のカーストとしては

歩行者⇒ランナー⇒自転車だと思います。

自転車の「通行可」の表示もあくまで「可=してもいいよ」ですから。

歩行者がいるのに強引に横切ろうとする自動車も最悪。

譲ってくれる人には挙手の礼はしますけどね。

譲り合って穏やかに通行しましょう。


万博周回道路

普段は万博外周とか単に外周と言うんですが、ラジオとかでは万博周回道路と言ってますね。

結構ランナーのメッカになっています。

一周約5km。

自動車専用レーンの外側が自転車専用レーン。そして一番外側が歩道です。

そう。真ん中の一番ランナーの多いのが自転車専用レーン。あくまでも自転車専用なんです。自転車も結構通ります。

なんで、みんな平気で走ってるんでしょうかね。さも当然みたいに。

ボクは歩道を走りますが。

というか、ランナーが多くて逆にいやなので、最近はほとんど利用しません。割りと外周道路に出入りする自動車も多いしね。

自分独自のランニングコース。学生率も高いので、たまに抜かれて悔しい思いもしますが、自分のペースで効率的にアドレナリンをブシュブシュ出すのが目的なんで気にしません。

一応、レース出場を目指して、ゆるく頑張ります。

iPhoneとの戦い小休止


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iPhoneのタッチパネルが反応しなくなり。

彼女がボクとの交渉を拒みだしてから、すでに一週間が過ぎました。

完全に別れの時が来たのかと、半ばあきらめていたのです。

事実、昨日はほとんどカンバセーションすることができず。

元カノともいうべき、3GSに助けを求める準備もしていたのですが。

なんか、今日は一応、相手をしてくれています。

ほんと、ビクビクしながら、一回あたり、10秒以内で必要最低限の会話のみしています。

昨日はそんな感じでもすぐシカトモードだったのですが。

なんとかかんとか、一日を終えることができたようです。

と言っても、明日はどうなるかわからない。

その昔Macintoshはパーソナルコンピュータのポルシェと言われてましたが、どちらかと言うとアルファロメオに近いですね。

車のことはほとんど知らないボクですが。

まさに超ツンデレのわがまま娘という感じです。

なんか、こちらの急所を握られて、いいようにされてる感じです。

で、

まんざらでもないと。