
久しぶりにお香を買ってみました。いっそのこと、インドだと思えば暑さを乗りきれるかと。
近くのエスニックなお店で。
前から思ってるんですが、日本人がエスニックとか言うのおかしいですよね。
例えばこれはインド製ですが、インド料理なんかもエスニックという。
エスニックって文化的に特異でマイナーということでしょ。
だったら、人口も宗教も彼の国の方がはるかにメジャーですわね。
☆☆
今までコーン型のお香しか使ったことなかったけど、こちらの方がマイルドで長く使えていいですね。
赤いぞうさんがかわいい。

このところGyaO動画(映画)を重宝しています。
なにせ、ソフト化されていない映画が結局ラインナップされているのです。
この映画も「名画座以外で鑑賞することは難しいだろうなあ」と思ってから、かなり年月が経ちました。
思いがけず出会うことができて、即、購入しました。ややこしい契約くではなくて、一本ずつ購入できるのがいいですね。
画面のサイズとか画質はだめですが。
モノクロ映画は比較的解像度が低くても気にならないのでありがたい。
なぜ、この映画が観たかったかというと、昨年亡くなった遠藤太津朗さんが唯一主役の作品(シリーズ)であること。ファンなので。
詳しいい内容や共演者も知らないのですが、それだけの理由でどうしても観たかった。
実際に鑑賞して、主役というには物足りない感じでした。
最も、ご本人は脇役ばかりやってきて、拘束時間の長い主役が嫌で仕方なかったそうです。
本当の主役は江原真二郎。こちらも又、主役としては弱い感が否めません。
その代わり、というか、他の配役はかなり豪華です。少なくとも邦画好きとしては。
浅草笑芸人が大勢出演しています。
映画の舞台は大阪なんですけど。
最弱と言われたらしい、大阪第4師団は現在の大阪城敷地内におかれたらしいです。本作での設定はわかりませんが。
映画の冒頭に「鷹田遊郭」というテロップが出て始まります。これは「飛田遊郭」のことでしょう。
鳶と鷹のシャレですかね。
なぜか三遊亭歌奴(現・三遊亭圓歌)が遠藤太津朗演ずる親分の右腕子分で出演。本人は江戸っ子なのに、かなり達者な大阪弁を喋っています。この人は(京都弁の)市川右太衛門の大ファンですが、結構大阪ノリがキライな人だと思うんですけどね。
その他、南利明・由利徹・関敬六・佐山俊二・谷啓・田中邦衛・玉川良一などなどが助演(もしくはちょい役)でワキを固めているので、それだけでも飽きません。
この時代の人たちは、やはり軍人を演じていて違和感がありませんね。
ノンクレジットで小林稔侍も出ています。
遠藤太津朗のサブに山城新伍が出ているのも珍しい。
同郷(京都)だし、共演も多いので、山城新伍も気持ちよく演じている感じがします。
プロットとしては、前年にヒットした大映の「兵隊ヤクザ」に対抗したものかなと思います。
勝新太郎演じる荒くれ者の兵隊ヤクザと、田村高廣演じる非力だけど頭が良く、勝新から慕われる兵隊というパターン。
関係ないですが数年後に作られた若山富三郎の「極道シリーズ」の第三作も「兵隊極道」です。
これは顔が同じなんで、あまりにも勝新とかぶるだろうという感じを受けました。
☆☆
先述のように、思ったほど遠藤太津朗の出番がないのですが、さわりではめずらしく長台詞の啖呵をきってくれます。
脚本も結構面白く、キャスティングが芸達者揃いの濃いメンツばかりなので、ホントに楽しい映画でした。
遠藤太津朗の意に相違して、好評だったらしく、同年に続編が作られたようです。
そちらも観てみたいと思います。

唐突ですが、キン肉マン。
連載が始まった時になんとつまらん漫画かと感じた記憶があります。
最初期のギャグマンガとも言えないドタバタ期ですが。
ウルトラマン辺りをモチーフにして、それを全く活かせてないという。
当時、まだ無名だった竹内義和氏も同様の論調を持って、同人誌でこき下ろしていた記憶があります。
その後、プロレス路線になってヒットしても、個人的には読むに耐えず、あまり見ていません。
これだけ好きなプロットなのになぜ?という感じですね。
大ブレイクして「キン消し」なども大流行しました。
その当時は気にならなかったのですが、最近でも、各種グッズになったりキャラクターがあちこちに露出してますよね。
これらの主要キャラクターは主役のキン肉マンはさすがに除き、読者からのデザイン公募だったと思います。
採用された読者になんらかのお礼はあったのでしょうが、これだけ莫大な利益を産んでおきながら、その後何もなし・・・なんでしょうか。
もちろん、その後膨らませてマネタイズに成功したのはのはゆでたまご(ていうか編集者?)であることは紛れもない事実です。
しかし、原作元ネタというのはそれほどないがしろにされて良いものではありません。
おそらく当時、契約の類などなにもなかったと思います。
「およげたいやきくん!」「いっぽんでもニンジン」なども売り切り契約なので、その後メガヒットとなっても、子門真人やなぎら健壱にはまったく金銭支払はなかったと聞きます。
彼らはプロなので、それを見越した契約をすべきだったので仕方ないでしょう。
それは当然です。
然るに、キン肉マンの読者は(多分)お小遣いから少年ジャンプを買っている子供です。
子供から元ネタを募集して、利益を上げているプロ漫画家及び出版社ってどうなんでしょうか。
寡聞にしてこの件に関して元ネタ提供者に対する、なんらかの手当が補償されているならば、ごめんなさいですが。
☆☆
そもそも、余程の才能がない限り、終わりを想定せずに創作する「売らんかな的」物語はホントに見苦しいですね。
物語(漫画)は、終わり方が最も重要という意見も聞きます。
比較するのもはばかられますが、「ゴルゴ13」は一話完結にも関わらず、とっくの昔にそのラストのアイデアはスタジオの金庫に入っているそうです。
「キン肉マン」未だにその魅力の理解できない作品であります。


東映空手映画路線(ほぼ千葉真一のためのジャンル)で、このような一本があったのを最近知り、探していたらGyaOで見つけました。
GyaOは画面が小さくてイマイチなんですが、割りと濃い映画を揃えているので妥協せざるを得ません。多分この映画はソフト化されていないみたいなので。
合気道開祖・植芝盛平の若いころを描いてるのですが、あくまでもモデルにしているということで、「この物語は史実を素材とした、創作である」との但し書きがあります。
グラップラー刃牙等で有名になった塩田剛三の養神館とは別のメジャー系合気会がバックアップしてるんですが、この映画の内容ではさすがに現在では広告にもできないでしょう。
映画そのものがだめなのではなく、あまりにも合気道の技術からは乖離してしまってるので。この頃の「カラテ」ブームの中にあっては仕方ないと思われます。
極真のマス大山を演じ、少林寺拳法創始者・宗道臣を演じ、さすがにネタ切れになってきたのでしょうか。
今回、主役の植芝盛平を演じるのは千葉真一の実弟千葉治郎(矢吹二朗)です。
仮面ライダーの相棒的存在のFBI捜査官(!)滝和也でおなじみです。
千葉治郎は、この映画からしばらくして引退してしまったようですが、残念です。
結構イイカンジだったんですけどねえ。この映画でも。
しかもお化け番組「仮面ライダー」のレギュラー共演者ですから、認知度も相当なもんだったと思われます。
☆☆☆
今回の主役である植芝盛平は小柄なことで有名です。
さすがに筋トレガンガン派の千葉真一では無理がある。そんな感じで千葉治郎にお鉢が回ってきたのでしょうか。
でも、やっぱり千葉治郎だけでは弱いと思ったのか、ライバル役で千葉真一が出てくるんですよね。
そりゃあ、千葉真一が出てくれば、千葉治郎は霞んじゃいますわ。
ただでさえ、千葉真一アメリカンっていう感じなのに。
なんとかチバちゃんも弟に花を持たそうとは思ったんでしょうが、文字通り役者が違うので。
盛平達が北海道の開拓を行いながら、武道修行に励んでいるところから始まります。
最初の方で千葉治郎が弟子を相手に稽古をするのですが、なんとか関節決めて投げたり、合気道的なムーブは見せますが、それ以降はなんだかわからん、結局カラテ?みたいな感じになってきます。
最も、タイトルでは「合気道」となってますが、まだ肝心の「合気道」が確立されるまえのお話なので、仕方ないかな。あくまでも、モデルにしたフィクションですし。
しかし、ストーリー自体はこの手のプログラムピクチャーの中ではよくできてます。凝ってます。
あきらかなヒール対ベビーフェイスではなく、いろいろとどんでん返しが用意されてます。
最初はわからなかったのですが、なんか守銭奴の嫌なやつな空手の先生が出てきます。
これを演じるのが本当に大きな空手団体を率いる鈴木正文という人。
あまりの肥満短躯でわからなかったのですが、植芝盛平の師の武田惣角を演じていたのです。
本業は空手家(法律家でもあるらしい)なんですが、ネイティブの東北弁で、それはそれでふさわしい配役なのかも知れません。
その他にもライバルの薩摩の剣術家を演じている人も、本業は武道家です。
しかし、ふたりとも、俳優でもあるらしく、非常に達者な演技を見せてくれます。
あれ、東映にこんな俳優いたっけかな、と思わせるような。
あと、特筆すべきなのは、金田龍之介演じる大本教中興の祖、出口王仁三郎。
今はそれほどではないでしょうが、この時代の大本教と言えば隆盛を誇り、国家からもおそれらた宗教団体。
決して出口王仁三郎に金田龍之介が似ているわけではないのですが、よくぞ演じたキャスティングした、という感じです。
金田龍之介、本作ではちょいと出ですが、存在感はさすがです。
若い植芝盛平の精神的支柱という役柄が非常に説得力あります。
そして、東映悪役に欠かせない汐路章。
オーバーアクト気味の演技で入れ歯外して老け役チャレンジ。孫娘の志穂美悦子を引き連れて。
仁義なき戦いの広能の恩師役より老けてます。
その正体は・・・・・・・。どっちみち、悦っちゃん同様、ストーリーにはそれほど絡みません。
さらにその志穂美悦子に至っては、とりあえず出しとけみたいな感じですね。
このジャンルで悦っちゃん出しとかないとおさまらんだろう、みたいな。
ラストは当然、治郎・真一の兄弟対決。
映画の最初で治郎は兄にボコられてるので、さて、どれくらい修行の成果が出たか。
相変わらず、合気道は出て来ませんが、仮面ライダーのお約束採石場みたいな所でラストの立ち回り。
当然主役なんで治郎は勝たないといけません。さてどうやって無理なく勝たそうか。
兄貴は強いぞー。
最初のシリーズが終わって、まだ終らない人気に東映が捨てておくわけもなく、深作欣二が撮ったシリーズは面白いと思います。
脚本が笠原和夫によるものではないので、どうしても弱い感は拭えまえせんが。
それらも終わって、まだやるか的な一本
今の仮面ライダーやウルトラマンのシリーズも、特に仮面ライダーやウルトラマンである必然性はないと思うのですが、やっぱ、看板が大きいんでしょうね。
東映実録路線は、スティーブン・セガールの映画が軒並み「沈黙の・・・」になってるのとは違って、それぞれに独自性は持ってたんですが、なんでこれが「仁義なき」なのかよく分かりません。テイストも全然ちがうんですけどね。群像劇という枠組みだけなら「神戸国際ギャング」とかのほうがよっぽど「仁義」です。
音楽が柳ジョージとレイニーウッド。なんだかなあ。
そんなにイメージの刷新をするなら、なんで「仁義なき〜」にするのか。意図がわからん。
宇崎竜童⇒軽すぎ。
松崎しげる⇒TVサイズ。
根津甚八⇒頑張ってます。一番輝いてる時か。
という主人公3人組なんですが、なんで友情出演でショーケンを出したのか。
完全に全部持っていかれてるやん。
常連、成田三樹夫が山守組長的なポジションで、出番多数なので、ボクを含めたファンはそれだけで嬉しいかも知れません。
花紀京に期待してたのに、セリフもないあまりにもちょい役(比較したら失礼かも知れませんが、出番とセリフでは福本清三先生の方がはるかに多かった。これはこれで嬉しい)な扱いにがっかり。どういういきさつでキャスティングしたのでしょうか。
とりあえず、花紀京は俳優として過小評価されすぎだと思います。
オムニバス形式のこの作品も大好きです。
主役のダッチワイフ(せっかく空気人形と言ってるのに敢えて)を演じるのが、「グエムル 漢江の怪物」で家族の中で一番頼りになりそうなロビンフッド役のペ・ドゥナ。
なぜ?
と思っていたのですが、人間ではない役を演じるのに、(部分的に)交わらない文化的パラレルを内包した隣国のペ・ドゥナがまさに適役はまり役でした。
そして、全く問題はないけれど完全ではない日本語がまた良いです。
しかし、原作は前述のようにオムニバスの中の一編なので、かなりふくらませてあります。二時間の作品にするには、かなり是枝監督のリメイクの力量が必要でしょう。
作品は静謐に淡々と進んでいきます。
都会に住む寂しい人達を淡々と。
カメラマンは台湾の李冰冰という人。
「ノルウェイの森」でも見せた、流れるような透明感のある映像です。
ペ・ドゥナが人形の可憐さ・はかなさを演じきって、これも憎いほどはまり役の板尾創路に軽く殺意を感じさせる。
その他のキャスティングも良いですね。うん、良い。
あえて言うと、オダギリ・ジョーがちょっと余計かも知れません。
好きな人なんだけど、なんだかなあ。
「深夜食堂」でも、好きなんだけど、この作品にいるか?みたいな違和感は感じてました。
☆
☆
しかし、またこれを書いている今、タイムリーに橋下氏の従軍慰安婦・風俗発言。
この映画の製作時、韓国人女優・ペ・ドゥナをこの役にキャスティングするとなった時、かなりナーバスになったであろうことは想像に難くありません。
底流に流れるメッセージには監督の意図もあるのでしょう。
もし、そうだったとしたら、この作品が描き出す「空気人形」の静かな悲しさ寂しさを、その問題とリンクさせるには、韓国の国民感情とは全く合致しない温度差を感じます。
本日の朝日新聞に、体罰に関する調査が載っていました。
思いの外、体罰肯定派が多いのですね。
調査対象は現役の学生のようです。
体罰を受ける側ということでの選択でしょうが、気力体力充実している世代で、独特のスイッチが入ってしまってるような感じも多いと思います。
ここはひとつ、優れた指導者でかつ結果(成果)を残した人たちの意見を尊重したいところです。
なおかつ、日本の文化から乖離しないバランスのとれた意見を。
ちなみにボクは体罰は否定します。
最も、昨今問題化・事件化しているのは「体罰」ではなく、明らかに「暴行」です。感情の赴くままと言うよりも、感情を制御できない人の起こした犯罪です。
さらにそもそも。
「体罰」・・・「罰」です。「罰」は「罪」に対して行われるもの。
さて、「体罰」を受けた人たちは、果たして「罰」を受けなければいけないほどの「罪」を犯しているのでしょうか。
言葉遊びではありません。言葉には言霊が宿ります。「万引き」も「窃盗」よりは軽い印象を与えますが、同義です。
人間(日本人)は言葉に引っ張られ、操られると思うのでボクは言葉には敏感で慎重です。
血液型云々などは、遊びを逸脱してしまっていると思います(ていうか、遊びだとすら思っていない人が多い)。だからキライなのです。
脱線しました。
と、言うことで「体罰」の是非にアプローチして行きたいと感じるのです。
一連の事件に関して、良く聞かれたのが「(体罰など)欧米では考えられない」という意見です。
欧米(特に米国)に比べて、日本に暴力が蔓延しているかというと、これは両国国民が自覚していることでしょう。
比較するのであれば、日本は誠に穏やかで非暴力的な国です。
それは地域や社会を平均した部分であり、今回比較されているのが、学校やオリンピック選手などの文化的にステージの高い現場の事です。
まず、当然、ある程度の高等教育を受けている人たちの場であることは前提です。
ここで重要なのが、ボクは宗教的なバックボーンではないかと考えます。
教育と宗教はやはり切り離せないものというか、宗教的価値観にもとづいて教育はなされていると思うので。
日本のベースはは神仏習合で成り立っています。近年はクリスマスだハロウィンだキリスト教式結婚式だとやってますが、これはお祭り(イベント)の域を出ていません。
釈迦は苦行を否定していますが、高野山では千日回峰行を達成した阿闍梨は生き仏として崇められています。
山岳宗教では尾根を駆け巡り、滝に打たれます。
直截的に自分にダメージを与えて高次へのステップとします。これは原罪に対する罰でもあるように思います。最も「原罪」はキリスト教的考え方ですが。
一方、キリスト教文化圏では、聖書にもあるように、キリスト教的価値観では「汝らの内、罪なき者まず石をうて」という価値観がベースです。
前者は自分に厳しい分、他者にも厳しくという論理であり、理解できます。この論理に則って「体罰」に行き着くのでしょう。
で、あれば良いのですが、経験豊富な大人の指導者でも、感情が先行してしまいがちなのです。
まして、それが精神的に未熟な若年層が体罰を与える側に立つことを容認するのは、不安です。
後者は他者に対するリスペクトがまず先行するということでしょう。「果たして自分は目の前の者に罰を与えるだけの者なのだろうか。」
本来「罰」を与えるのは神だけである、と。
宗教的には日本的である自分ですが、どうしても後者にシンパシィは覚える。
よって、「体罰」には懐疑的なのです。
100VS0の価値観ではないので、議論の余地は十分にあるということは付け加えます。


そりゃぁ、健さんのロードムービーです。外れるわけがない。
しかし、映画館に観に行った近くのオバサンの感想は、非常に退屈だったと。
そうなのかな。ハズレなのかなと思ってましたが。
このオバサンはあまり映画好きじゃないのね。
そりゃ、人それぞれでいいのですが、一体どこを観ていたのか、と。
何を期待して行ったのかと。
久しぶりに小一時間、問い詰めたい。
オープニングのカメラワーク。すごいですね。引きつけられました。つかみはオッケー。
そして話題の竹田城跡。この絵は良く撮れましたねぇ。
これが撮れるのは黒澤明くらいかと思いました。
☆
☆
以下、ちょっとネタバレだよー。
この映画は勿論、健さんありきの映画なんですが。
今回に限っては、大滝秀治に全部もってかれた感が、どうしても。
先述のおばさん、この大滝秀治が観られただけで、もぉお腹いっぱいでしょ?
もう、秀治は死ぬ直前まで俳優として進化し続けましたね。
出番は少し、ほんの少しだけですが、完全に健さんかすんだというか。
ビートたけし・草薙君・佐藤浩市もいい線いってましたが、俳優としては格が違いました。
☆
☆
多分、みんな老境に入った健さんの元気な姿が観られるのはあとどれくらいか、というのが映画鑑賞のモチベーションだったのではないでしょうか。
晩年の馬場さん状態で。
画面に手の甲が写ったりすると、やはり年齢を感じさせますが、声や動きはとても80歳超えているとは思えません。
漁船に乗ってなびく髪の毛もおかしいくらいふさふさです。
次回作はどうなのでしょうか。
個人的には最後にもう一本、老境のヤクザ、老いた(とは言いたくないけど)花田秀次郎をみてみたい。
もいちど言いますが、この映画は大滝秀治の映画です。
さまぁ〜ず、が好きなら最高の映画でしょうね。
さまぁ〜ずは大好きなのですが、テレビをほとんど観ないし、最近の所謂バラエティ番組が好きになれず、唯一「モヤモヤさまぁ〜ず」だけリアルタイムで観てます。
この映画の存在を知らず、遅ればせながら鑑賞しました。
三村の等身大の存在感はいつも通りに、役にピタリとハマります。
一方、大竹も又、高田純次よりもひとでなし的な持ち味がいるだけで面白い、謎な男を好演。
所謂「ハゲ」がテーマなんですが、ふたりとも今のところ髪に不自由はしてませんよね。
まあ、だから良いのでしょうが。
逆にフットの岩尾では生々しすぎるし。
さまぁ〜ず。永遠の中学男子。
ホントに中学男子のアホさを純粋に保ってていいですぇ〜。
「モヤさま」を観てても、本来ボケ役の大竹が何でもそつなくこなす役回りで、三村は「何も満足にできない・知らない」キャラクターです。
なので、大竹が逆にツッコミます。
しかし、三村が漏らした感想などは、大竹は決して(完全な間違いで且つ余程面白くない限り)突っ込みません。
どんなぬるい言葉でも復唱するだけで、すべてに同調します。とても良いリズムと間です。
普通、漫才コンビは実は仲が悪いなどといいますが、このコンビだけは本当に仲が良いのだろうなと思わせて、変な感想ですが癒されるのです。
ま、「モヤさま」に関しては、3人めのさまぁ〜ず大江ドンが抜けちゃったのがマジで痛いのですが。
*
*
ちなみに。
昔、永六輔の本で読んだのですが。
業界用語が一般化した「づら」という言葉。
これはカツラの事ではありません。
カツラよりもっとチープな俄とかに使うハリボテのカツラ「ボテ鬘」の略語です。
ま、いいですが。
ていうか、全く映画の感想文になってない(w
あ、最後に。
変わり果てた穂積ぺぺに気づいた自分はエライと思います。