知的生産の技術 (岩波新書)  umesao


梅棹 忠夫
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 25年ほど前に読んだはずだが、勝間和代氏の30歳台前半ご推薦の一冊にあったので、再読してみた。
 梅棹 忠夫先生といえば、万博公園の国立民族学博物館名誉教授で、「千里ぐらし」というエッセイもだしておられ、ご近所のボクとしても非常に親近感をもっている。
 「知的生産」というのは梅棹先生の造語であるそうな。
なんとも気負わず、嫌みでもなく、あるべきインテリという感じの響きが良い。
 驚いた。こんなにも読みやすく面白い内容であったのか。
 昔よりもはるかに感銘を受け、新鮮である。
 知的作業(広い意味で)に関わるための本質をなんと平易な文章で展開していることか。難しいことをさらに小難しく書いてありがたがらせている凡百の書とは一線も二線も画する良書である。
 冒頭に出てくる、インフラとしてのコンピュータ革命を言い当てているところがすごい。
 「近い将来、家庭にコンピュータが入り込み、その操作ができることが個人の基本となるかもしれない…」と
 なんせ、書かれたのが1969年以前である。
 
 ボクの初読の時点でも「はぁ?」てなもんだ。
 それが1969年ならば、まだ「コンピュータ」(記述は「コンピューター」であったかもしれない)は電算(電子計算機)と呼ばれていたはず。
 ボクの高校時代でも、電算室にだけはエアコンが入っていた。
 しかし、ウルトラマンなどのSFのドラマのなかでは、いかにも胡散臭げなオープンリールや電光板などがエレクトリックサーカスを繰り広げ、情報のアウトプットとして長ーいパンチカードが「べーぇ」とはき出されてくるイメージであった。
 しかもその「電算機」は大体が壁一面を埋め尽くすサイズなのだ。(逆に大きくないとありがたみがない)
 その時代にこの先見性というのは、SF作家などではない、実際の学問の場にいる人としてはどうなんだろう。なんの枠にもとらわれない発想の自由さを感じさせる。
 一頃は手塚治虫の作品通りに科学・技術は進んできたなどと、その先見性も称えられていたが、本書も初版から40年を経て、まさに現役のバイブルである。

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