「正直日記 終日無為」カテゴリーアーカイブ

年の瀬の一出来事


うさぎのヌイグルミ

昨夜は大阪梅田で呑んでいたのですが、かなり早めに帰りました。
多分19時代。

JRの普通電車で、席が空いてたし眠かったので着席しました。
と、前に全身黒ずくめの若い夫婦とその3・4歳くらいの小さな娘が立ちました。

しばらく見ていたのですが、その女の子があくびを連発しだし、若い母親に抱っこを求めだしました。
こりゃ、席を代わる案件だと思い、すぐに「代わりましょうか?」と言って席を譲りました。

その母親はすごく申し訳ないというような表情をしましたが、素直に席に付きました。
これまた若い父親はなんとも中途半端な表情と仕草を見せただけで、明確な礼はありません。
別に礼を求めていわけでは、もちろんないわけですが。
社会人としてはいかがなものかと思うわけです。

小さな娘は着席してすぐにいびきをかいて寝始めました。
席の譲り甲斐があったというものです。

二言三言母親と言葉を交わしましたが、三人でUSJに行き、娘もいっぱい歩いたので疲れたのでしょうとのこと。

電車を降りしなに「それじゃ、おやすみなさい」というと、若い父親もしきりにペコペコしていました。
別にそれで良いんだけど、君の行動が娘への教育なんだよ、と言いたかった。

それはともかく。
こちらとしては、気持ちよく替われて、娘ちゃんも夢の続きが観られて、母親も心底楽ちんそうだったということで、いいことづくめ。
こちらも気持ちの良さがずっと持続して、逆に礼を言いたくなる気持ちになりましたとさ。

女の子の持っていた、ボタンが目になっているうさぎのヌイグルミが大変に可愛かったのが印象に残っています。

胃がんその14 奉祝 手術三周年


前向きなイメージ

先日、3ヶ月ごとの定期検査がありました。
少し前にいつもの内視鏡・CTスキャン・血液検査をした結果です。

担当医が変わって初めての検査です。
五年は診てほしかったけど、仕方ない。

で、
・・・・・・

結果は良好。

気になるポリープが食道にあり、その生検を行なったのですが、それも含めて非常にきれいな状態であると。

3年で癌の再発率がぐっと下がるらしいので、ま、少し安心して良いのかな。

ダンピング症候群などは相変わらずです。
頻繁に排泄の発作に襲われるので、近距離でも不慣れな土地にいくのが不安です。

爪や皮膚の脆さは栄養の吸収が阻害されているからかな、とも思います。

あと、たまに腹痛に襲われるのがイレウスじゃないかと恐怖します。
一度開腹したものは一生イレウス(腸閉塞)の危険から逃れられません。

そんな自分を受け入れて、後半生を生きていかなければなりません。

なんにしても生きてるだけで丸儲け精神でいこうと思っています。

このブログを書いているのも、同じ癌サバイバー、そして自覚がないであろう予備軍に向けてのものであります。

以前のように思い切り飲み食いを楽しむことは、もうできません。

胃袋のある幸福は健常な状態ではなかなか実感できないでしょう。

ほんとに失くして初めて気づく感じです。

経過観察は5年なので、あと2年です。

淡々と粛々と生きていきます。

お気に入りものまね


本日ラジオを聴いていると、ラジオDJが「虫の声の声帯模写」とか言ってました。

虫の声はものまねですね。江戸家猫八とか。

で、役者のマネが声色(こわいろ)で、文化人とかのマネが声帯模写だと思います。

「声帯模写」という言葉を生み出したのは古川緑波だと聞きました。

それまでの声色とは一線を画したわけですね。インテリの古川緑波らしい命名です。

テレビのものまね番組は昔から安定した人気があります。これは歌マネ番組と言ったほうが、より近いかと思います。

めんどくさいのでものまね番組で良いですが。昔は良く観ていました。

でも、最近はオリジナルがわからない(ついていけてない)ので、殆ど観ません。

You Tubeでたまに観ている中で、これは!と思うのを並べてみました。

だからどうってことはないのですが。

徳永英明 by英明

鈴木雅之 byコージー冨田

ちあきなおみ by君島遼 ※この人はモンスターだと思います。

欧陽菲菲 テレサ・テン by篠塚満由美 桂銀淑 ※この中ではこの動画が一番好きです。

Freddie Mercury by Marc Martel

巨大クサガメ


ほぼ夏日の本日、近くの池で甲羅干しをしているカメの集団を発見。
カメ好きの血が久々に騒ぎ、見物に行きました。

どうせアカミミガメと思いつつ、群れているところを眺めると。

やっぱりこのデカさはアカミミガメだ。

うん・・・   ん!?

いやまさかこのサイズで・・。

そのまさかだ!

まわりのアカミミたちとはフォルムが違う。

巨頭化したクサガメだ!!

甲羅のキールも間違いなく3本だ。

うーん。感動。自然界ではこんなに巨大になるんだ。

アカミミを凌ぐサイズ。

アカミミにすっかり生態系を崩された(悪いのは人間だけど)昨今、少し感動した出来事でした。

クサガメ
左から二匹目、明らかに頭がでかい。

おまっつぁんのこと   2


路地
もっと苔むしてましたが

ボクは祖母である、おマツさんに結構厳しく躾けられました。

良く人様から姿勢が良いと褒められますが、これは祖母の訓育のたまものです。

猫背で顎を出していたりすると「姿勢が悪いっ」と厳しい言葉が飛び、常に祖母の横にある針山の差しが飛ぶこともありました。

これは現在最も有り難いと感じることですが、ボクが同じことを娘に言っても、全く効果がないのはなぜなのでしょう。

祖母は基本的に厳しいのですね。いろいろと。でもまあ、手を挙げられた記憶はありません。そんなに悪い子でもなかったし。

彼女の意見の基準は単純です。

曰く。

「昔の兵隊さんは云々」

耳タコで聞かされたのが、南方に送られた兵隊さんは、灼熱地獄の中飲み水がなくて泥を踏みしめて染み出した水を飲んでいたと・・・。
見たんかい!!

大体、高度経済成長の幼児にそんな極限状況な描写をされても、っちゅう話ですわ。
いや、幼かった当時ですら、そんな感じで聞いていましたね。


大体、ボクは神経質で、良く祖母から「カンショウヤミ(疳性病み?)」と言われていました。細かいことが気になり、汚れとかに敏感だったのでしょう。
それは今でもそのままです。
電車の吊革持てない派です。
よそんちのご飯が食べられない派です。

ボクに対して、男の子としてそれが許せなかったのでしょう。
良く叱られたものです。


祖母の記憶を思いつくままに書いていきます。

祖母は煙管でタバコを吸っていました。もしくは紙巻たばこ「しんせい」。

良くタバコを買いに行かされたものです。
今ではありえませんが、昔のタバコ屋さんは、こどものお使いで売ってくれたのです。

煙草盆を前に置いて、煙管を吹かせたいたのを覚えています。
粋な所作でしたね。

粋といえば、見たことはありませんが、祖母は三味線も弾けたようです。嗜みとして習っていたのでしょうか。

祖母は時代劇を観るのが好きでした。ある時、お気に入りの時代劇を観ていると、ある登場人物が三味線を弾いているシーンがありました。

どうやらその俳優は三味線が弾けなかったらしく、当て振りで演技をしていたようなのです。

その所作を見た途端、祖母はぼそっと「そんな手つきで三味線が引けるかいな。」と吐き捨てるように言いました。

普段、テレビにそれほど突っ込んだりはしないので、おそらく、そうなのでしょう。

おぼろげですが、幼かったボクは「おばあちゃん、三味線弾けるの?」と尋ねたように記憶しています。

粋とは違いますが、彼女は若いときに東京に住んでいた事があるようです。
で、いつも「海苔の佃煮 磯自慢」(もしくはそれに類するもの)ばかりを食べていたとのことです。

なぜかというと、他にいろいろと注文をすると会話が発生し、「これおくんなはれ。」などというと、失笑され、それが苦痛であったからということです。多少誇張はあるとは思いますが、おそらく事実でしょう。

今、東京に言っても普通に周りから関西弁が聞こえてきますので、隔世の感はあります。


祖母が倒れたとき、ボクがいました。というか、祖母の他にはボクしかいませんでした。

自宅で突然苦しみだし吐血をしました。鮮血ではなく、血の塊を履いたのでした。

まだ10代で気が動転していたボクはなぜかご近所の仲良しのおばさんに電話をし、かかりつけ医に電話をするように言われました。

本来ならば、当然119番救急車なのですが、なぜかその時はそんな当然のことも思いつかない。

往診の後先かは覚えていませんが、ボクは祖母を移動させるために抱きかかえました。上半身を抱きかかえた途端、非常に重く、手が滑って背中から落としてしまいました。

その時に見上げた祖母の目が「何すんねん!」と叫んでいるようで表示怖かった。忘れられません。

その後入院し、しばらく患ったあとに亡くなりました。

一度、病室で付き添っていたとき、爪を切ってほしいと言われました。

祖母がボクに対してそんな風に甘えたようなことを言ったのは後にも先にもそれだけです。

ボクは爪切りで祖母の爪を切りました。

祖母の爪は乾ききっていて、まるでウエハースをパキパキサクサクと剪んでいるようでした。

しかし、思えばそれがボクが祖母に対して行った唯一の孝行なのかもしれません。

ボクが生まれる前のことは知りませんが、そんな風に一生懸命といういうよりは、淡々と送った生涯だったように思います。

祖母は一生は幸せだったでしょうか。

おまっつぁんのこと  1


ボクはご幼少のみぎり、両親が共働きでした。

なので、同居していた母方の祖母が面倒をみてくれていたのでした。

名前を「マツ」と言います。このエントリータイトルはそういうことなのですが、別に当時彼女ををおまっつぁんと呼んでいたわけではありません。

ちなみに住んでいたのは長屋。社宅なのですが、形状的には長屋です。

日本製鎖という会社の社宅だったようです。おそらく社屋が移転でもしたのか、その頃は社宅ではなくなっていました。
斜向いのおばあさんは糊を商っており、玄関を開けると、ひたすら洗濯のりが並んでいたのを覚えております。
普通の棟続きの薄い壁なのに、印刷機を置いて仕事をしている家もありました。

なんにしても、大阪市内の町中ならともかく、田舎の長屋というのもわびしいものです。

横には一面田んぼが広がっていましたし。


ボク自身もそうですが、特に何事かを成した人物では(少なくともいまのところ)ありません。
今死んでしまえば、ボクという人間が存在した記憶はほぼなくなるでしょう。

それは全然構いません。むしろ望むところではあります。できれば墓もなく、そのあたりに散骨でもしてもらえればありがたい。さっくりと忘れ去られたい。潔く。

ただ、記録として、個人史として、何か面白いものが残っていても良いかなあとは思います。
このブログはそういう意味もあります。

極悪非道な猟奇犯罪者として名を残すより、善良な一市民として、風が吹くように忘れ去られる方が良いですもんね。

しかし、特にこのエントリーなんか他人が見ても特に面白くもないし、役にも立たないと思います。今のところアフィリエイトもやってないので、それでも良いのです。


さて、そんなことで祖母の件ですが、まさに生まれて生きて死んだ、何ということもない市井の徒のその他大勢さんでした。

といっても、何度かの戦争を体験し、いろいろな体験もしてきてはいます。

そんなことをBIGDATAとして残しておいても面白いんじゃないか・・・と思ったりもするわけです。
何の役に立つのか、実際にやれば全世界的なプロジェクトにもなり得ると思いますが、まずは最初の一歩から。


彼女が生きていればおそらく今年で110歳になると思います。ということは、明治40年生まれということになりますかね。

生誕地は知りませんが、和歌山市内に住んでいたようで、その後大阪市福島区に移っています。
連れ合いは写真でしか知りませんが、印刷所を経営したりしていたようですが、若くして病没しています。
その後、戦争中の疎開で大阪府高槻市の梶原に行き、そのまま終戦後も暮らしていたようです。

容貌はというと、ありがちな福々しいおばあさんではなく、ちょうど朝日新聞の4コマ漫画「ののちゃん」に出てくるおばあさんによく似ていました。
なんか、割りと常に眉間にシワを寄せてる感じでしたね。機嫌が悪いというわけではないんですけどね。

性格もののちゃんのおばあさんのように、結構気が強い人でした。

何と言っても生まれたときから面倒を見てもらい、教育されたわけですから、少なからずボクの人格形成にとってはキーパーソンです。

具体的には次項に譲ります。

胃がん その5


ドラッグストア
ドラッグストア=薬局なのよね。忘れてた。

自分の憶えと、同じような境遇の人の参考になればと、書いていきます。

抗がん剤の副作用には大分慣れてきました。

しかし、胃という大きな臓器(実際に摘出分は2kgあった)を失うことがこれほど身体にダメージを与えるとは思いませんでした。

その他の身体の一部、末端や眼球などを失った人も同様に全体のバランスが狂うのでしょう。

食べることはホントに生命活動の基本です。
食えないことはありませんが、その時によってかなり違う。

普通に料理したもの、焼肉、オムライス、チャーハン、等などは今のところ受け付けない・・・
というよりは、食後が怖くて食えません。

なんとかあっさりしたもの。

焼き魚やおばんざい的なものは大丈夫。

調子が良ければ、昼食にはスーパーの小さなカツ丼くらいはいけるのですが、しばらくは動けません。

夜食が特に食えない。パスタ100gで後悔したり。

食いやすいのは果物やお菓子類。

朝食はトースト(ピザ風など)にキーウイとヨーグルト。
ヨーグルトは大事だと思う。


 

とにかく、消化はできても吸収が出来ません。

食ってる割には体重に全く反映しません。ガリガリのペラペラのまんまです。
自分で肋辺りを触ったり、鏡に写したりする度に暗澹たる気持ちになります。

と、いうことで栄養補助食品にも頼ります。

脂肪も筋肉もないので、エネルギーの蓄積ができないのでしょう。
ガソリンタンクのない自動車のようなものです。

仕事中でも常に栄誉補給が必要ということです。

本日はめまいで動けなくなりました。おそらく血糖値がさがっているものと思います。
同時に血圧も176/105くらいになってましたが、どちらの影響で体調不良になったのかはわかりません。

栄養ドリンクも飲んでます。けど、ほぼプラセボ的なものですね。

本日、近所のドラッグストアに行って、栄養ドリンクの前に立った途端、店員の薬剤師であろうお兄さんに声をかけられました。

で、どの栄養ドリンクが良いのかわからんのです、と答えました。

すると、お兄さんは別の棚に案内してくれました。ボクの見ていたところは島の端っこの看板的なスペース。その横に回った棚の島にはたくさんの栄養ドリンク10本セットが並んでいました。
そこでお兄さんが薦めてくれたのが380円の商品。その他のブランド(アリナミンとかね)ものは1,000円前後するのに。お兄さんが言うには、このレベルのものならば、どれでも一緒とのこと。
で、一番安いのを買って、その分錠剤のユンケルとかに購入予算を回しましょうと。

まあ、うまいこと言うなあとは思ったけれど、ユンケルは割りと信頼してるブランドだし、薦めてくれた錠剤も一緒に買いました。
錠剤の箱には一回2錠とは書いてるけど、1錠で充分ですとも言ってくれたし。

そう言えば、ドリンク剤の謳い文句も「タウリン3,000㎎」とか書いてるけども、実際には1,000㎎も吸収出来ませんとかネタバラシしてくれました。

とりあえず、このセットでしばらく試してみます。

あと、痛風発作が出るので止めていたエビオスも一緒に。

胃がない場合の栄養補給について。

又、続けて記録していきたいと思います。

胃がんその後4


コスモス

手術が5/10だったので、本日9/11で約4ヶ月経ちました。

体重は53キロくらい。大体10キロ落ちました。
多分ここから落ちることはないと思われます。
これ以上落ちたらヤバイ。
今でも日常生活の体力ギリギリです。

抗癌剤の影響で常に腹部(胃がないので、胃のあった部分というか)の気持ち悪さに悩まされています。
ずっと重度の下痢に悩まされており、ビオフェルミン+下痢止めの薬も効果がなかったのですが、最近やっと落ち着きました。
と言っても、まだまだ腹部の不調はありますが。
なので外出がつらい。突然発作に見舞われますので。

大体なんでも食えるのですが、量が食えない。
この間も思い切ってラーメン食べてリバースしてしまいました。

あと、少し食べ過ぎる(と言っても普通の量ですが)と、苦しくて気持ち悪くて動けない。
それでも頑張って食べているのですが、おそらく消化吸収する力がないのでしょう。
一向に体重には反映しません。

爪がへにゃへにゃになってきた。
看護師さんに爪の異常はない?と聞かれ、そう言えばとおもってたら、どんどん変になってきた。
凸凹になって、反り返ってきました。
すぐに引っかかって爪が剥がれそうになるので、超深爪ににしています。
反り返っているせいか、深爪にしても痛くはありません。

その前に抗癌剤ts-1の副作用として、つめを含む指先の色素沈着がありましたが、爪自体の異常は副作用のまとめになかったように思います。言っとけよ!

涙目はましになりましたが、かすみ目がひどい。でも医者に言ってもts-1の副作用にそれはないとのこと。
運転がコワイ。信号が霞む。

昨日は数十年部ぶりの小学校の同窓会。みんな元気そうで、癌なのは自分ひとりだけのようでした。
それはそれで喜ばしいことですが、みんなが気を使うので、勢い癌キャラになって、殆どその話ばかりになってしまった。
ガリガリのペラペラの今は出席したくなかったのですが。

数日後にはイレギュラーの受診があります。
ts-1の影響で白血球が減少しているとのこと。
このままでは抵抗力が落ちてヤバイので、次回受診した時に白血球が減っていれば抗癌剤治療を休薬するらしい。
伊達や酔狂で副作用に苦しんでいるのではないので、休薬はしたくないところです。

ネットの情報を見ると、3年経っても体重が戻らない等の内容を散見しますが。
1年後には筋トレとランニングを再開して復活する予定です。

名曲「まぼろしのブルース」


何故(YouTube)たどり着いたのか忘れたけど、ここ最近ハマっている曲。
これは名曲だと思います。おすすめです。

作詞作曲:藤本卓也
全然知らないけど、五木ひろしの「待っている女」も作っているんですね。

「まぼろしのブルース」はオリジナル歌手は佐久間浩二という人で、この人の歌唱にはまってしまったのです。
曲名でググるとトップにくるのは勝彩也という歌手で、この人名義でカラオケにもラインナップされています。
スナックとかで歌うにはピッタリなんだけど、カラオケスナックとかは行かないからなあ。

いろんな人のバージョンがあるので、聴き比べてください。

佐久間浩二version
なんか、この人の粘りつく「とうほぐ」(出身地)の”業”のようなボーカルがクセになるのです。

勝彩也version
これはこれでエロチックで良い。パチもんの森進一感が・・・。

華ゆり(フラワーショウ)version
師匠は、なんかヤケクソの旧ドラえもん唱法で、なんか違うと思う。ご本人はまじめに取り組んでるんでしょうが。

大西ユカリversion
よくぞ蘇えさせてくれたというか。違和感なし。

大体、大西ユカリversion以外で共通するのは「ゴンタ君の声」が効果的に使われているところ。クイーカという楽器らしいですけど。
特に勝彩也versionではこれでもかというくらい、うひょうひょ言ってます。

特に最後の「あ~、ここまでおいでと  あ~、まぼろし」というところが大好き。

カバーはその他にもありますが、代表的なところで。
しかし、やはり私としては佐久間浩二推しではあります。

映画レビュー:健さん


健さん
「健さん」映画チラシ

健さん讃歌のドキュメンタリー映画。

ただそれだけ。これがNHKあたりの特番であれば良いのだが、劇場用映画としてはいかがなものか。

私も高倉健は大好きです。でなけりゃ観に行きませんわね。

この映画では高倉健ゆかりの著名人(でない人もいるが)のインタビューで構成されています。
ひたすらインタビューの編集です。たまに高倉健の生前の声も入ります。

私達ファンが雑誌やネットなどで知りうる高倉健像を上回るものではありません。

新たにジョン・ウーやマイケル・ダグラス、マーティン・スコセッシなどの社交辞令的な健さん称揚は若干目新しいですが。

映像としては、「ザ・ヤクザ」と「ブラック・レイン」の二本だけだったと思います。どちらもアメリカ映画ですね。
東映や東宝は許可出なかったのか。使用料としてはハリウッドの方が高いと思うけど。

健さんは勿論「高倉健」を演じていたのです。そんなことは分かっています。
この映画はそれを確認しただけで、それ以上のものはありません。

小田剛一ではない高倉健にだって、批判される部分はあったと思います。
それをこの作品では全く取り上げません。
別にそれはそれで良いでしょうが、物足りないのも事実だし、劇場に足を運ぶだけの価値は感じません。

個人的には多数演じたヤクザ映画の影響等をどう処理していたのか。
山口組のイベントに招かれたこともあったと記憶しています。

「健さん」を映画にするなら、もっとやりようもあったはず。

なぜ、あまり接点のないジョン・ウーなのか。チャン・イーモウは断られたのか。

もう一人、ほぼ時を同じくして亡くなった東映のアイコン菅原文太との対比は。

いろいろと言いたいことは出てきます。

★★