月別アーカイブ: 2013年5月

映画レビュー:その後の仁義なき戦い


「仁義なき戦い」と冠した映画はかなり沢山あります。「新・仁義なき戦い」に至っては、二通り(・⇒ナカグロがあったりなかったり)あるので一層ややこしい。

最初のシリーズが終わって、まだ終らない人気に東映が捨てておくわけもなく、深作欣二が撮ったシリーズは面白いと思います。
脚本が笠原和夫によるものではないので、どうしても弱い感は拭えまえせんが。

それらも終わって、まだやるか的な一本

今の仮面ライダーやウルトラマンのシリーズも、特に仮面ライダーやウルトラマンである必然性はないと思うのですが、やっぱ、看板が大きいんでしょうね。

東映実録路線は、スティーブン・セガールの映画が軒並み「沈黙の・・・」になってるのとは違って、それぞれに独自性は持ってたんですが、なんでこれが「仁義なき」なのかよく分かりません。テイストも全然ちがうんですけどね。群像劇という枠組みだけなら「神戸国際ギャング」とかのほうがよっぽど「仁義」です。

音楽が柳ジョージとレイニーウッド。なんだかなあ。

そんなにイメージの刷新をするなら、なんで「仁義なき〜」にするのか。意図がわからん。

宇崎竜童⇒軽すぎ。

松崎しげる⇒TVサイズ。

根津甚八⇒頑張ってます。一番輝いてる時か。

という主人公3人組なんですが、なんで友情出演でショーケンを出したのか。

完全に全部持っていかれてるやん。

常連、成田三樹夫が山守組長的なポジションで、出番多数なので、ボクを含めたファンはそれだけで嬉しいかも知れません。

花紀京に期待してたのに、セリフもないあまりにもちょい役(比較したら失礼かも知れませんが、出番とセリフでは福本清三先生の方がはるかに多かった。これはこれで嬉しい)な扱いにがっかり。どういういきさつでキャスティングしたのでしょうか。

とりあえず、花紀京は俳優として過小評価されすぎだと思います。

映画レビュー:空気人形


バンダイビジュアル
発売日:2010-03-26

原作は天才・業田良家「ゴーダ哲学堂 空気人形」です。

オムニバス形式のこの作品も大好きです。

主役のダッチワイフ(せっかく空気人形と言ってるのに敢えて)を演じるのが、「グエムル 漢江の怪物」で家族の中で一番頼りになりそうなロビンフッド役のペ・ドゥナ。

なぜ?

と思っていたのですが、人間ではない役を演じるのに、(部分的に)交わらない文化的パラレルを内包した隣国のペ・ドゥナがまさに適役はまり役でした。

そして、全く問題はないけれど完全ではない日本語がまた良いです。

しかし、原作は前述のようにオムニバスの中の一編なので、かなりふくらませてあります。二時間の作品にするには、かなり是枝監督のリメイクの力量が必要でしょう。

作品は静謐に淡々と進んでいきます。

都会に住む寂しい人達を淡々と。

カメラマンは台湾の李冰冰という人。

「ノルウェイの森」でも見せた、流れるような透明感のある映像です。

ペ・ドゥナが人形の可憐さ・はかなさを演じきって、これも憎いほどはまり役の板尾創路に軽く殺意を感じさせる。

その他のキャスティングも良いですね。うん、良い。

あえて言うと、オダギリ・ジョーがちょっと余計かも知れません。

好きな人なんだけど、なんだかなあ。

「深夜食堂」でも、好きなんだけど、この作品にいるか?みたいな違和感は感じてました。

しかし、またこれを書いている今、タイムリーに橋下氏の従軍慰安婦・風俗発言。

この映画の製作時、韓国人女優・ペ・ドゥナをこの役にキャスティングするとなった時、かなりナーバスになったであろうことは想像に難くありません。

底流に流れるメッセージには監督の意図もあるのでしょう。

もし、そうだったとしたら、この作品が描き出す「空気人形」の静かな悲しさ寂しさを、その問題とリンクさせるには、韓国の国民感情とは全く合致しない温度差を感じます。

体罰問題について


本日の朝日新聞に、体罰に関する調査が載っていました。

思いの外、体罰肯定派が多いのですね。

調査対象は現役の学生のようです。

体罰を受ける側ということでの選択でしょうが、気力体力充実している世代で、独特のスイッチが入ってしまってるような感じも多いと思います。

ここはひとつ、優れた指導者でかつ結果(成果)を残した人たちの意見を尊重したいところです。

なおかつ、日本の文化から乖離しないバランスのとれた意見を。

ちなみにボクは体罰は否定します。

最も、昨今問題化・事件化しているのは「体罰」ではなく、明らかに「暴行」です。感情の赴くままと言うよりも、感情を制御できない人の起こした犯罪です。

さらにそもそも。

「体罰」・・・「罰」です。「罰」は「罪」に対して行われるもの。

さて、「体罰」を受けた人たちは、果たして「罰」を受けなければいけないほどの「罪」を犯しているのでしょうか。

言葉遊びではありません。言葉には言霊が宿ります。「万引き」も「窃盗」よりは軽い印象を与えますが、同義です。

人間(日本人)は言葉に引っ張られ、操られると思うのでボクは言葉には敏感で慎重です。

血液型云々などは、遊びを逸脱してしまっていると思います(ていうか、遊びだとすら思っていない人が多い)。だからキライなのです。

脱線しました。

と、言うことで「体罰」の是非にアプローチして行きたいと感じるのです。

一連の事件に関して、良く聞かれたのが「(体罰など)欧米では考えられない」という意見です。

欧米(特に米国)に比べて、日本に暴力が蔓延しているかというと、これは両国国民が自覚していることでしょう。

比較するのであれば、日本は誠に穏やかで非暴力的な国です。

それは地域や社会を平均した部分であり、今回比較されているのが、学校やオリンピック選手などの文化的にステージの高い現場の事です。

まず、当然、ある程度の高等教育を受けている人たちの場であることは前提です。

ここで重要なのが、ボクは宗教的なバックボーンではないかと考えます。

教育と宗教はやはり切り離せないものというか、宗教的価値観にもとづいて教育はなされていると思うので。

日本のベースはは神仏習合で成り立っています。近年はクリスマスだハロウィンだキリスト教式結婚式だとやってますが、これはお祭り(イベント)の域を出ていません。

釈迦は苦行を否定していますが、高野山では千日回峰行を達成した阿闍梨は生き仏として崇められています。

山岳宗教では尾根を駆け巡り、滝に打たれます。

直截的に自分にダメージを与えて高次へのステップとします。これは原罪に対する罰でもあるように思います。最も「原罪」はキリスト教的考え方ですが。

一方、キリスト教文化圏では、聖書にもあるように、キリスト教的価値観では「汝らの内、罪なき者まず石をうて」という価値観がベースです。

前者は自分に厳しい分、他者にも厳しくという論理であり、理解できます。この論理に則って「体罰」に行き着くのでしょう。

で、あれば良いのですが、経験豊富な大人の指導者でも、感情が先行してしまいがちなのです。

まして、それが精神的に未熟な若年層が体罰を与える側に立つことを容認するのは、不安です。

後者は他者に対するリスペクトがまず先行するということでしょう。「果たして自分は目の前の者に罰を与えるだけの者なのだろうか。」

本来「罰」を与えるのは神だけである、と。

宗教的には日本的である自分ですが、どうしても後者にシンパシィは覚える。

よって、「体罰」には懐疑的なのです。

100VS0の価値観ではないので、議論の余地は十分にあるということは付け加えます。

神宿る野間の大ケヤキ
神宿る野間の大ケヤキ
カラスノエンドウはカラスが食べるんだろうか。
カラスノエンドウはカラスが食べるんだろうか。

映画レビュー:あなたへ


昨年、大ヒットしました。

そりゃぁ、健さんのロードムービーです。外れるわけがない。

しかし、映画館に観に行った近くのオバサンの感想は、非常に退屈だったと。

そうなのかな。ハズレなのかなと思ってましたが。

このオバサンはあまり映画好きじゃないのね。

そりゃ、人それぞれでいいのですが、一体どこを観ていたのか、と。
何を期待して行ったのかと。
久しぶりに小一時間、問い詰めたい。

オープニングのカメラワーク。すごいですね。引きつけられました。つかみはオッケー。

そして話題の竹田城跡。この絵は良く撮れましたねぇ。

これが撮れるのは黒澤明くらいかと思いました。


以下、ちょっとネタバレだよー。

この映画は勿論、健さんありきの映画なんですが。

今回に限っては、大滝秀治に全部もってかれた感が、どうしても。

先述のおばさん、この大滝秀治が観られただけで、もぉお腹いっぱいでしょ?

もう、秀治は死ぬ直前まで俳優として進化し続けましたね。

出番は少し、ほんの少しだけですが、完全に健さんかすんだというか。

ビートたけし・草薙君・佐藤浩市もいい線いってましたが、俳優としては格が違いました。


多分、みんな老境に入った健さんの元気な姿が観られるのはあとどれくらいか、というのが映画鑑賞のモチベーションだったのではないでしょうか。

晩年の馬場さん状態で。

画面に手の甲が写ったりすると、やはり年齢を感じさせますが、声や動きはとても80歳超えているとは思えません。

漁船に乗ってなびく髪の毛もおかしいくらいふさふさです。

次回作はどうなのでしょうか。

個人的には最後にもう一本、老境のヤクザ、老いた(とは言いたくないけど)花田秀次郎をみてみたい。

もいちど言いますが、この映画は大滝秀治の映画です。

映画レビュー:かずら


ポニーキャニオン
発売日:2010-06-16

もぉ、ね。

さまぁ〜ず、が好きなら最高の映画でしょうね。

さまぁ〜ずは大好きなのですが、テレビをほとんど観ないし、最近の所謂バラエティ番組が好きになれず、唯一「モヤモヤさまぁ〜ず」だけリアルタイムで観てます。

この映画の存在を知らず、遅ればせながら鑑賞しました。

三村の等身大の存在感はいつも通りに、役にピタリとハマります。

一方、大竹も又、高田純次よりもひとでなし的な持ち味がいるだけで面白い、謎な男を好演。

所謂「ハゲ」がテーマなんですが、ふたりとも今のところ髪に不自由はしてませんよね。

まあ、だから良いのでしょうが。

逆にフットの岩尾では生々しすぎるし。

さまぁ〜ず。永遠の中学男子。

ホントに中学男子のアホさを純粋に保ってていいですぇ〜。

「モヤさま」を観てても、本来ボケ役の大竹が何でもそつなくこなす役回りで、三村は「何も満足にできない・知らない」キャラクターです。
なので、大竹が逆にツッコミます。

しかし、三村が漏らした感想などは、大竹は決して(完全な間違いで且つ余程面白くない限り)突っ込みません。
どんなぬるい言葉でも復唱するだけで、すべてに同調します。とても良いリズムと間です。

普通、漫才コンビは実は仲が悪いなどといいますが、このコンビだけは本当に仲が良いのだろうなと思わせて、変な感想ですが癒されるのです。

ま、「モヤさま」に関しては、3人めのさまぁ〜ず大江ドンが抜けちゃったのがマジで痛いのですが。

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ちなみに。

昔、永六輔の本で読んだのですが。

業界用語が一般化した「づら」という言葉。

これはカツラの事ではありません。

カツラよりもっとチープな俄とかに使うハリボテのカツラ「ボテ鬘」の略語です。

ま、いいですが。

ていうか、全く映画の感想文になってない(w

あ、最後に。

変わり果てた穂積ぺぺに気づいた自分はエライと思います。

映画レビュー:ムカデ人間


トランスフォーマー
発売日:2012-02-03

劇場公開時、メチャメチャ観たいにも関わらず、トレーラーにヴィヴィって、行けなかった作品。

気がつけば「2」まで公開されてます。

このDVDはやはりイモ引きながら鑑賞しました。

が、結果。

やはり、アレですね。

『トレーラーを超える本編は存在しない』

という”映画格言”は鉄板ですね。

ボクが作ったんですが。

「呪怨」とかもトレーラーの方が確実に怖かったし・・・。
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自分のビビリと想像力の完全勝利です。

もっとエグい映画は山ほどあるわけで。

この設定を発想できただけで、この映画はすでに完成(勝利)していたとも言えます。

なぜかムカデ人間の先頭が関西弁の日本人で、終始日本語なのですが、やたらと画面にマッチして違和感がなかったのが意外でした。

多分、「2」も主役のキャスティングだけで完結してしまってる作品のような気がします。

もっとも、この感想は自分のヘタレっぷりを前提に、悪趣味映画としての評価しかしていません。

そして、その評価方法は間違っているとも思います。

映像美やジョセフ・ハイター博士のピカレスク・サイコ・アンチヒーローとしての魅力を掘り下げていけば、もっと違った切り口で楽しめます。