ネタバレになりますが、プロットは有名なので、ある程度記載しても良いかと思います。
これは太平洋戦争中に起こった、九州大学生体解剖事件がモデルとなっています。
日本軍に撃墜されたB29の乗員米兵が捕虜となり、死刑判決を受けますが、通常の銃殺刑ではなく、生体解剖の犠牲になった事件です。
第二次大戦中の非人道的な生体解剖を扱った作品としては、大ブームとなった、森村誠一の「悪魔の飽食」シリーズがあります。ボクも読んだ当時に大きなショックを受け、トラウマとなった作品です。
「悪魔の飽食」はあまりに内容が直截的で、かつての帝国軍人に対する礼を失するというような激烈な批判に晒されたようです。
一方「海と毒薬」も発表当時、既に解決した事件に対する、さらなる過剰な断罪であるという攻撃があり、その後の遠藤の筆を鈍らせたような経緯もあるようです。
作品ないでは、九州大学とは書かず、九州のF帝大という架空の大学病院を舞台としています。いっそのこと九州ですらなくしても良かったのではないかと思います。
あまりにも非人道的な所業なのですが、舞台が戦争末期でもあり、モラルハザードも極まった感があります。
主に関わる若い医師二人にそれぞれの煩悶があり、この二人を主軸に物語は進行していきます。
おそらく、後にブラックジャックとドクター・キリコの造形にも影響を与えたのではないでしょうか。
翻って、同様に手術に関わった二人の看護婦はこの背徳的な行為に全く動じず、実に堂々としています。恐ろしいほどに。実際の医療現場でも、結構こんな感じなのかもしれません。
その他、権力側のエライ医師達と軍人たち。
特に軍人の感性は、現代では考えられない悪魔的な価値観です。
731部隊も南京も慰安婦も彼らなら躊躇なく実行するでしょう。
それが冷徹な武士道に通底するものならともかく、彼らは下卑た笑いを浮かべながら人権を蹂躙し、命の尊厳を否定します。
否、そこまでも思い至っていないのでしょう。
目の前の異国の兵士にも事情があり、これまでの人生があります。
彼らはそこになんの斟酌もありません。
葛藤があってこその軍人だとおもうのですが。
生まれた子供には未来が。老人には歩いてきた道の記憶が。
だからこそ、命は大切。
彼ら存在が創作の上の誇張であればと願います。
個人的に慰安婦問題は皆無ではないというのが、ボクの見解です。
あっただろうが、数の問題で盛りすぎじゃない?と思うわけです。
南京にしても、数十万人の死体をどうやって処理するのか。
本当であれば、明らかな物的証拠があるはずでしょう。
なので、もっとスケールを小さくすれば事件としてはあったかもしれない。
白髪三千丈の国の主張ですから、仕方ない。
その他、この物語には人間として唾棄すべき価値観を持った登場人物が複数います。
遠藤周作はキリスト者としての視点でこの物語を描いているのでしょう。
しかし、そのような視点を持たなくとも、「人」が善であるのか悪であるのか。
あるいは対立するものではないのか。考えます。
作者はこの小説の続編を執筆するつもりであったのですが、先に書いた批判に会い、それを諦めたということです。