ボクはご幼少のみぎり、両親が共働きでした。
なので、同居していた母方の祖母が面倒をみてくれていたのでした。
名前を「マツ」と言います。このエントリータイトルはそういうことなのですが、別に当時彼女ををおまっつぁんと呼んでいたわけではありません。
ちなみに住んでいたのは長屋。社宅なのですが、形状的には長屋です。
日本製鎖という会社の社宅だったようです。おそらく社屋が移転でもしたのか、その頃は社宅ではなくなっていました。
斜向いのおばあさんは糊を商っており、玄関を開けると、ひたすら洗濯のりが並んでいたのを覚えております。
普通の棟続きの薄い壁なのに、印刷機を置いて仕事をしている家もありました。
なんにしても、大阪市内の町中ならともかく、田舎の長屋というのもわびしいものです。
横には一面田んぼが広がっていましたし。
ボク自身もそうですが、特に何事かを成した人物では(少なくともいまのところ)ありません。
今死んでしまえば、ボクという人間が存在した記憶はほぼなくなるでしょう。
それは全然構いません。むしろ望むところではあります。できれば墓もなく、そのあたりに散骨でもしてもらえればありがたい。さっくりと忘れ去られたい。潔く。
ただ、記録として、個人史として、何か面白いものが残っていても良いかなあとは思います。
このブログはそういう意味もあります。
極悪非道な猟奇犯罪者として名を残すより、善良な一市民として、風が吹くように忘れ去られる方が良いですもんね。
しかし、特にこのエントリーなんか他人が見ても特に面白くもないし、役にも立たないと思います。今のところアフィリエイトもやってないので、それでも良いのです。
さて、そんなことで祖母の件ですが、まさに生まれて生きて死んだ、何ということもない市井の徒のその他大勢さんでした。
といっても、何度かの戦争を体験し、いろいろな体験もしてきてはいます。
そんなことをBIGDATAとして残しておいても面白いんじゃないか・・・と思ったりもするわけです。
何の役に立つのか、実際にやれば全世界的なプロジェクトにもなり得ると思いますが、まずは最初の一歩から。
彼女が生きていればおそらく今年で110歳になると思います。ということは、明治40年生まれということになりますかね。
生誕地は知りませんが、和歌山市内に住んでいたようで、その後大阪市福島区に移っています。
連れ合いは写真でしか知りませんが、印刷所を経営したりしていたようですが、若くして病没しています。
その後、戦争中の疎開で大阪府高槻市の梶原に行き、そのまま終戦後も暮らしていたようです。
容貌はというと、ありがちな福々しいおばあさんではなく、ちょうど朝日新聞の4コマ漫画「ののちゃん」に出てくるおばあさんによく似ていました。
なんか、割りと常に眉間にシワを寄せてる感じでしたね。機嫌が悪いというわけではないんですけどね。
性格もののちゃんのおばあさんのように、結構気が強い人でした。
何と言っても生まれたときから面倒を見てもらい、教育されたわけですから、少なからずボクの人格形成にとってはキーパーソンです。
具体的には次項に譲ります。