茨木市ぼらぼら〜弁天さん


茨木市は私の生まれ育った場所です。

離れて(といっても近所ですが)20年以上たつので、かなり変わってしまいましたが。

ここ3ヶ月、首を痛めてまったく運動ができず、どんどんと肥大していっています。

せっかく痩せていたのに、フルマラソンもエントリーしてたのに。

大阪マラソンは選に漏れましたが、神戸マラソンはなんとかでたいもんです。

このケガが良くならないと難しいですが。

せめて散歩でもしようと思い、天気も良いのででかけました。

済生会病院は少し移転して綺麗に大きくなりました。

その横を抜けて茨木インターに近い郡のあたりを見てみます。

大きな公園ができたりして、結構変化があります。

35年くらいまえに通っていた塾。もうないだろうと思ってたら、そのままの姿で残っており、少し感動。その当時でも結構ぼろかったのに。

そのころなぜか、コピー機があり、湿式でした。いわゆる青写真?テスト用紙とかそれでコピーしてました。コピーしたての用紙はじっとりと濡れてるのよね。だから湿式。

名神高速道路をくぐって、山の方へ。辯天宗の裏山です。

小学生から中学生にかけてボーイスカウトに入っており、ひところは毎週のようにここでキャンプをしておりました。

少年野球のかわりにキャンプするようなもんですかね。

宿泊費がかかるわけでもないので、安いっちゃあ安い。

雨が降ってもキャンプ。

濡れた薪でもマッチ3本以内で火を起こさなければならない。

一応「火付けの鬼」と呼ばれてました。

ホントに30年ぶり。
キャンプをしていた山の中にはいりましたが、さすがに山の中は様変わりというか、分からない。年々変わるもんね。

ほんとにこんな感じだったかな。帰れるかなと思ったら、見覚えのある空き地に出てきました。妙な感じに木を組んだものが立ててあったりして「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」??か???という感じでちょとこわい。

そこを抜けると上に登るとえらくきれいに整備されてある。

よくみるとコンクリートで○にHが・・・、ヘリポートだ。なんで?

そこを越えると、迷彩服を着たお兄ちゃんたちが20人くらい。あきらかにボーイスカウトじゃない。

機関銃もってるし(^_^;)

ああ、なんとかいうやつだな。

と、思って通り過ぎると、果たして彼らが貼ったであろうコピー用紙が無造作に杭に。

長文なんであんまり覚えてませんが、「これからサバイバルゲームをしますので、ハイキングの方は、誰にでも良いので一声かけてください。ただちにゲームを中止します。云々カンヌン」

なんだか良く解らん世界ではあるが、まあ、常識はあるのね。一応。

そこを超えると、宗教法人辯天宗 本部 飛龍山冥應寺 境内。

もともとは奈良が発祥ですよね。

高校野球の常連校、智辯学園の母体です。

宿舎もあるので、良く宿泊してたと思います。


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これが水子供養塔。茨木市の七不思議。どの方向から見ても、同じ方向に傾いているらしい。

そう言われればそんな気もするが、周囲の地形とか建物とかの影響でそう見えるのでしょう。大体、このでかい塔が傾いてることじたいダメだし。

そこからすこし下ったところに、戦没者慰霊塔があります。

戦前のSF絵物語に出てくるロケットみたいな形と色をしているのですが、小さい時はこれが一体なんであるのかわかりませんでした。

銀色に輝くロケット
アップ

真夏には太陽を受けて、一層銀色に輝きます。

中には戦没者の遺品が入っているとか・・・ほんとか知りません。

で、この塔を少し上がった横に、妙な小屋があるのです。

いやぁ、まだあるとは思いませんでした。

物置とかしてました

ここにはかつてチンパンジーが飼われていたのです。

40年以上前。かすかに記憶があります。

チンパンジーの名前は「おはなはん」。

そのころ、樫山文枝の主演でNHK朝の連ドラで「おはなはん」が大人気でした。

でも、チンパンジーのおはなはんはすぐに死んでしまいました。

想像ですが、当時、この場所にチンパンジー飼育の知識をもった飼育員がいたとは考えにくく、そんなものを飼うこと自体無謀だったんじゃないのかと思います。

いまだったら許可されないでしょう。

この件は幼なじみに聴いても知ってる人がいない。

短期間だったからかな。

だれか覚えてる人いませんか?

そこから長い石段を下りてくると、石碑があります。

人類の幸福は心の掃除から


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郷土の英雄??笹川良一の書ですね。

茨木と隣接した箕面市の出身です。

毀誉褒貶の多い人。

よろしければ、こちらをどうぞ。

破天荒 笹川良一

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