「闘病」カテゴリーアーカイブ

胃がんその14 奉祝 手術三周年


前向きなイメージ

先日、3ヶ月ごとの定期検査がありました。
少し前にいつもの内視鏡・CTスキャン・血液検査をした結果です。

担当医が変わって初めての検査です。
五年は診てほしかったけど、仕方ない。

で、
・・・・・・

結果は良好。

気になるポリープが食道にあり、その生検を行なったのですが、それも含めて非常にきれいな状態であると。

3年で癌の再発率がぐっと下がるらしいので、ま、少し安心して良いのかな。

ダンピング症候群などは相変わらずです。
頻繁に排泄の発作に襲われるので、近距離でも不慣れな土地にいくのが不安です。

爪や皮膚の脆さは栄養の吸収が阻害されているからかな、とも思います。

あと、たまに腹痛に襲われるのがイレウスじゃないかと恐怖します。
一度開腹したものは一生イレウス(腸閉塞)の危険から逃れられません。

そんな自分を受け入れて、後半生を生きていかなければなりません。

なんにしても生きてるだけで丸儲け精神でいこうと思っています。

このブログを書いているのも、同じ癌サバイバー、そして自覚がないであろう予備軍に向けてのものであります。

以前のように思い切り飲み食いを楽しむことは、もうできません。

胃袋のある幸福は健常な状態ではなかなか実感できないでしょう。

ほんとに失くして初めて気づく感じです。

経過観察は5年なので、あと2年です。

淡々と粛々と生きていきます。

胃がん その13 ダンピング症候群


腹痛
死を意識する腹痛。いや、まじで。

もう少ししたら、胃がん手術後3周年です。

酒も結構呑めるようになって、調子悪いながらも、それなりの日常を送るようにはなっています。

昨年は病気を言い訳にしないというのをコンセプトに、自分にイベントを課して過ごしました。

フルマラソン完走。(その他にハーフマラソンのレース2本とトレイルランのイベント1本)
資格試験3種。(うち、合格2種=ITパスポート・漢字検定2級)

まあまあ、の1年だったと思います。

最期の資格試験(宅地建物取引士)は残念ながら不合格でしたが、どうもそれで燃え尽きてしまった感があります。

今年は全然走る気にならないし、結構ぐうたらしています。

今年の秋には再度宅地建物取引士と管理業務主任者の試験を受けようと準備はしているのですが、なかなかそのモードになりません。


で、体調ですが、あまり良くありませんん。

といっても、胃摘出の人ならば誰でも経験する「ダンピング症候群」。
食事を摂る度に苦しめられます。

食事量を抑え気味にしていても、食べ終えた後はしばらく苦しくて動けません。
それが毎食後なので、困ります。

あと、食べたらすぐ出る感じ。

消化する力が不足しているのか、常に下痢気味ではあります。

食事量抑え気味とは書きましたが、どうしても食べすぎてしまい、自分の学習能力のなさを日々後悔しています。
と言ってっも、食べないと体が持たないんですけどね。


昨日は腹痛に苦しめられました。

胃がん摘出後すぐになった腸閉塞を思い出し、救急車を呼ぶ寸前でした。

一夜明けて落ち着き、只今病院に来ています。

無事3周年を迎えられたと思います。

復活の狼煙総集編(一区切り)


折返し
いわゆるひとつのマイルストーン

胃がんによる胃4分の3摘出後、フィジカル部分の自信を取り戻す為自分に課したマラソン。
まあ、好きで走ってるだけですが。

胃がない=ガソリンタンクが壊れてる という状態でどこまでやっていけるのか。
言い訳をせずに生きていけるのか。

今年に入ってハーフマラソンのレースには2本出ました。
タイムはともかく、ハーフの距離であれば日々の練習でも走っているので、どうということはない。

しかし、フルマラソンとなるとプレッシャーが違います。

練習も30km走などが必要となって来ます。

どうも最近ハムストリングス(太腿の後ろ辺の筋肉)に違和感痛みを感じてて心肺機能も落ちてるような嫌な感じでした。
30km走でヘロヘロだし。不安感しかない。

そんな中で迎えた4月1日の「なにわ淀川ハーフマラソン」「ハーフマラソン」と銘打たれてはいますが、出走するのは今年から実施されるフルマラソンの部。

なにわ淀川ハーフマラソン
ちょうどよい感じの曇天で始まります

ただでさえ退屈な河川敷でハーフのコースを二周するというマゾヒスティックなレースです。
しかし、天候は穏やかで、それほど暑くもなさそう。

前日に整体の先生にテーピングも施してもらい、塩飴やエナジーゼリーなども持って準備万全。酒も抜いて早めに寝た。

目標はサブ4です。

ハーフは2時間を切れるので、単純にその計算でいくと可能なタイムではあります。

その思惑通り、20kmくらいまではペースを落とさずに走れました。

しかし、半分以降で失速。

32km辺りで例のハムストリングスが痛み出し、あまつさえ両足の小指が猛烈に痛み出した。
これは今更ながらシューズが合っていないものと思われます。

ハムストリングスの違和感もこれが原因かも。

そうこうしているうちに、下半身全部が痛み出し、走ってるんだか歩いてるんだかわからない状態に。でも、意地でも歩きません。ましてや止まることだけは絶対に。

ほんと、もう二度とマラソンなんか出ないといつも思いながら走ってます。

42km地点の表示からゴールまでがなんと長かったことか。

結果、4時間39分。くそ。

めちゃめちゃ悔しくて、大阪マラソンのエントリー開始を待っている今日この頃です。

マラソン終了
かなりヘロヘロでした

しかし、フルマラソンを走りきることはできました。
この目標は人生のペースメーカーです。

胃がん その12 低血糖?


低血糖
予測不能

このブログエントリーシリーズは備忘録として書き留めておくことを主眼としており、尚且つ同様の人たちの目に触れ、何らかのお役に立てればと思ってます。

今回は単純に胃切除について起こる症状について書き留めます。

いろいろな後遺症がありますが、ダンピング症候群については、ググってもらえれば詳しく出てきます。

ボクのこれはダンピング症候群かな?と思うような症状です。

やはり、胃がないことにより、栄養の摂取がうまくいっていないことに起因するように思います。

突然冷や汗が出て、体が熱くなり(真冬でも)、非常にだるくて動けなくなります。思考力がなくなり、毎度どうしてよいのかわからなくなるのです。
あ、又この症状だ、と思わずに対処できなくなるのです。

そしてしばらく時間がたってから、いつものアレだと気付く感じ。

多分、極端に血糖値が下がっている状態なのだと思われます。

その証拠に体が甘いものを欲し、羊羹なりお菓子なり(カロリーメイトを常備しています)を摂取すると落ち着きます。

特に食事を抜いた時とかではなく、割りとしっかりと食べた状態の時でも突然にやってきます。

手術直後からは起こる頻度自体は少なくなっていますが、急に襲われるのでやっかいです。

胃がんその11 青コーナーから  復活の狼煙


一昨年(2016)の5月10日に胃癌の手術を行い、ほぼ、術後一年半が経ち、この日マラソンのレースに復帰しました。
と、言ってもまずはハーフマラソンから。

2018年 第44回 武庫川新春ロードレース大会

天候には恵まれ、気温もそれほど低くもありません。

2015年には初めてのフルマラソン・大阪マラソンに参加しましたが、さすがに規模が違いました。
荷物置き場もブルーシートを敷いているだけ。スタートとゴールが同じ場所なので。

でもまあ、近所だし必要充分な設備です。
ボランティアの人たちも凄くいい感じだし。みなさん、ありがとうございました。

武庫川マラソン
こんな感じ

コースはほぼ全部フラットです。

武庫川沿いを往復するコース。同じ場所を何度も走らされるのはイヤですが、これくらいなら我慢できます。

練習は去年の7月頃から再開しました。

最初は真夏ということもあり、3キロくらいでギブアップしてしまいました。
最近は練習でハーフの距離を走れるようになっていますので、走ること自体に不安はありませんでした。

結果は以下の通り。

武庫川ハーフマラソン
かなり抜いたんですけどねえ。

不本意ではありますが・・・

まあ、2月にもハーフのレースにエントリーしているので、そちらも頑張ります。

今回のレースにエントリーしている最高齢は84歳。
それを考えればまだまだこれから、ぼちぼちと。

復活の狼煙でした。

今村岳司
大会パンフレットより。今村岳司市長。こやつの出迎えを受けるとは思わなかった。暴言問題はどうなったんだ!

胃がん その10 闘病その後~マラソン


マラソン
走ることは生きること

抗がん剤治療が終わってしばらく経ちます。
備忘録として書いていたブログを読み直しても、結構いろいろなことがあったなあと思い出されます。

元々が喉元過ぎれば熱さを忘れるタイプなので、あんなに辛かったことが綺麗サッパリ残っていないことにびっくりするやら呆れるやら。
ま、それだからこそ今まで生きてこれたとも考えられますが。

この夏からはランニングも再開しました。

最初のころ(7月くらい)は炎天下ということもあり、全然走れず吐きそうになっていました。

やはり、秋くらいから以前のように走れるようになってきます。

走るときはiPhoneでNikeのアプリを利用しています。これまでのランの詳細が事細かに記録され、PCでも見ることができます。

マラソン
こんな感じで走ってます

来年の1月と2月はハーフですが、レースにエントリーしています。

その練習で本日は21キロ走ってみました。まあまあかなと思ったのですが、Nikeのアプリを使った記録を見ると、2010年のものがハーフの最短記録でした。
現在の目標はキロ5分30秒を切ること。ラップタイムで見ると結構クリアしているのですが、総括するとまだまだです。

走っている途中でハムストリングスに来ることはありますが、ハーフくらいだとふくらはぎや膝に来ることはなくなりました。大分と筋肉もできてきたようです。

走り終わってケアを行い、一服していると、思い出したように足が攣ってきました。
それは仕方ないとして、厄介なのが血糖値が下がってしまう現象。

これは手術直後からたまにありました。
胃がほぼないので、エネルギー補給が思うようにできないので起こる現象からと思っています。シンドくなって、動けなくなります。体が暑くなって、冷や汗が出てきます。糖尿病の発作ってこんな感じなのでしょうか。頭もボーッとなっているので、毎回どう対処して良いのかわからなくなるのです。

この発作が起きたときには、甘いものを食べると結構回復します。術後しばらくは一口サイズの羊羹を持っていました。最近はそれほど頻繁にならないので、羊羹は買っていません。
あまり消化には良くないそうなので。

今日はたまたまあったエンゼルパイを一つ食べて、少し楽になりました。

なんせ、摂取できる栄養素が足りてないぽいので、一日に何度にも分けて食べなければなりません。それはそれで辛いものがありますが、大分と慣れてきたので、マラソンも頑張ります。

胃がん その9 腸閉塞発症


胃がんの術後、可能性として腸閉塞がおこることがありますと聞いていました。

胃切除術後に超同士が癒着しようとする現象らしい。

先日、お腹の具合も良いので、調子に乗って焼き鳥を食べに行きました。例の全国チェーンの280円の店。

よせば良いのに、やたらうまくてモリモリと。

そしたら、案の定、食後30分後くらいで猛烈な激痛が腹部を襲います。
ほんと、カミサマごめんなさい、申しませんと言ってみても後の祭りです。

お守りのようにもっているロキソニンも全然効かず、その夜を明かしました。

朝目覚めて、まだ痛みはあったのですが少し我慢をしていると楽になってきました。

いつものダンピング症候群と判断し、食後の薬をの怠ければならないので、軽くお粥を食べて服薬、

で、しばらくすると、また猛烈な痛みが襲ってきました。

この辺でようやく、いつもの痛みではないと思い、主治医のいる市立豊中病院に電話連絡して救急外来で診てもらうことにしました。

救急外来は専門外の若い医師が担当しているので、見た目に頼りない気は拭えませんが、それは仕方ない。
結果、この若い医師がGood Jobだったと思います。

前回、同様に救急で診てもらったときには問診触診だけだったのですが、状況を見て取り急ぎレントゲンとCTスキャンにまわしてくれました。

結果、腸が腫れているので緊急入院ということになり、その日の手術が終わった担当医も来てくれました。

腸閉塞もしくは腸閉塞のなりかけというのが見立てだったと思います。

まず、1週間ほど点滴を行って改善を見る。
それでもだめであれば手術を行う。

ということだったのですが、翌日もレントゲンとCTスキャンを撮って、予断を許さない状況と判断されたらしく、入院の翌日には手術と相成りました。

で、手術は一応成功したので、このような記録も書けてるわけです。

この腸閉塞は今後も発生する可能性があり、予防法もないとのことなのでげんなりですが、下手したら死ぬヤツなので、今回は良かったと思っておきます。

おかげで予定していたお風呂も旅行もキャンセルですけどね。仕方なし。

術後記録特別版でした。

胃がん その8 副作用について


副作用
つらいっす・・・

抗がん剤の副作用

私は癌細胞と転移の怪しまれる胃周辺のリンパ節は残らず摘出しました。
なので、今後は再発の危険を観察していかなければなりません。

そのために抗がん剤としてts-1という薬を服用しています。
予定は12ヶ月です。最もその後の経過観察は5年間ありますが。
服用の仕方はいろいろあるようですが、4週間服用してその後2週間は休薬するパターンです。

もっと辛い人が山ほどいるなかで、告白するのは気が引けますが、このts-1の副作用も結構辛い。
服用を開始する前に、辛くて途中でts-1を辞める人も少なからずいるというようなことも主治医から聞いていました。
服薬予定は1年間。辛ければ6ヶ月で止めても良いという話でした。
胃がんではないものの、他癌の臨床で6ヶ月でも12ヶ月でも薬効に変わりはないという結果も出ているそうなので。

で、6ヶ月が終わるという頃、主治医に服薬をやめたい旨をポロッと訴えた処、最初とは打って変わって続行した方が良いという意見。

そりゃそうなんでしょうけど・・・辛いのよ。

セカンドオピニオンでもないのですが、同時に長年受診している心療内科の先生にも相談したところ、専門外ながら続けたほうが良いでしょうとのこと。

二人に言われたのならしょうがない。
続けることにしました。

この薬が4週分で約25,000円。一日あたりにすると約900円ほど。高い。
ホントに辛ければ抜薬して良いとのことですが、この値段を考えると気軽に抜くこともできない。
抜いた薬は何故か廃棄しなければならず、次月に回すとこできないので。なんでだ
(# ゚Д゚)

この薬は癌細胞を攻撃するわけですが、同時に正常な細胞も攻撃する。
なわけで、副作用としていろいろ不具合がでるわけです。

・吐き気、悪心
・下痢(待ったなし)
・腹鳴(たまらなく気持ちが悪い)
・爪、皮膚が弱くなる。
・ガス過剰
・味覚障害(思いの外辛い、何食っても旨くない)
・神経障害/手のしびれ(ものを落としたり)
・視覚障害(霞んで見えない)涙目(止まらん)
・慢性鼻炎の悪化(つまり、涙と鼻水がとまらん)

その他・・・

特に最近視力障害が酷いです。ものが3重に見えます。
信号や満月が全部ミッキーマウスに見えるのです。
TDLのマーク参

照。

ま、お陰様で髪の毛はふさふさのままです。ハゲるのは絶対イヤだ。

ts-1の副作用一覧に出ておらず、主治医も首を傾げる副作用(?)が出ているので、書き留めておきます。

仕事が休みの時に限って、ひどく出ます。やはり気が緩むせいでしょうか。

胃がん その7 サケについて


BAR
ストレート(ニート)が好きなのも、どうも…

ボクは酒が好きだ。
呑むのも好きだし、ウンチクも大好き。酒場の雰囲気はたまらない。

しかし、アルコールには弱く、30歳までほぼ呑まなかった。
結局、それほど弱いわけではなく、呑み方の問題だったのかもしれない。

そして、昨年の胃がんによる胃摘出手術を経て、再び酒のない日々へ。
手術をするまでは、休肝日のない毎日だった。酒のない日々は考えられなかったし、禁酒など考えもしなかった。

今は胃が元の四分の一しかない。
胃の入り口が噴門部で出口が幽門部と呼ばれる。
それぞれが機能することにより、胃は「胃袋」としての役割を果たす。
ボクの場合、幽門部側を切除したため、理屈としては底の抜けたレジ袋状態のはずである。

呑み喰いしたものは、本来は一旦胃でストックされて消化されて少しずつ腸に送られるものが、底が抜けているためダイレクトに腸に届く。
聞いたところによると、アルコールは大体胃で吸収されるらしい。
ダイレクトに小腸に送られたアルコールは、一気に吸収される。
その結果悪酔いを招く。
正常に酔えないと酒も旨くないというもんだ。

というわけで、呑まなくなって半年を越えてしまった。
幸い、良い酒は自宅には置いていなかったので、それを見て指をくわえるということもない。

行きつけのBARのマスターには事情を話して握手をして店を出た。
アイル・ビー・バック!!というやつだ。

ただ、アルコールに関する書籍を集めており、それがむなしく書棚に並んでいる。

癌を発症してから購入したものが、村上春樹著「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」。
夢に描くスコットランド・アイラ島の風景が描かれている。

潮風とピート香を味わうだけのためにも、訪れたい場所だ。

時間も金もないし、パニック障害もほぼ収まったとは言え、長時間のフライトに耐えられるかはもう少し自信がない。

このまま、禁酒の人生を送るつもりもない。

そもそも。
酔っぱらいは大嫌いだ。自分の価値観として、酒は酔っ払うために呑むものではないと思っている。
「酔っ払う」というマイナスイメージではなく、「酔う」というプラスイメージ。

基本、「酒は一人で酌(く)むもの」。確か、昔テレビドラマで藤竜也が言ってたような気がする。
彼は小奇麗な居酒屋のカウンターで静かに呑んでいた。

しかし、気のあった複数名でヤる酒も良い。
なんだろう、酔うほどに同じ空気を共有できる。脳みそに共有クラウド部分ができるような錯覚が楽しい。

さて、胃切除後に呑み喰いが元通りになった体験談も良く目にする。
本当にそんな日がくるのだろうか。

まだ抗がん剤治療が半年ほど続く。

マラソンランナーとしての復活と酒呑みをして復活後を抗がん剤治療の終了からに設定しており、現在は雌伏の時と考えている。

胃がん その6


腹痛
痛み、こんなもんじゃないですが・・・

自分のためにもご同様の方にとっても、もっと細かに記録していった方が良いのはわかっているけど、結構日々を乗り越えることに精一杯な今日このごろです。

5月に胃の摘出手術を行って約半年。最近はそこそこ慣れてきたかなと思っていました。

しかし、その油断をついてというか、でかい副作用に襲われました。
少々食えるようになったのと、食わないといけないというプレッシャーで、飯を食っていました。

あと、かなり疲労も蓄積していたと思います。

朝マックを機嫌よく食っていたのですが、食い終わった10分後、徐々に腹部に痛みを感じ、それが耐え難いものに変わってきました。

腹の中を電動ドリルでかき回されるような激烈な痛み。初めて経験する痛みです。

とても席に座っていることができずにトイレに行きました。

リバースすることができれば少しましになるかもしれない。
しかし、戻すというのは食べたものをしばし溜めておく胃袋があってのこと。
胃袋がない今となっては、思い通りに吐き戻すことも出来ません。

おそらく約1時間ほど、塗炭の苦しみの内にすごしました。

朝マックも軽いもので、それほど量のあるものではありません。
元々食べるの遅い方で咀嚼も充分にしています。
なにが悪かったのか。

なんとか痛みも治まり、帰宅しました。

そこからが私の愚かしいところなのですが、さっきまで死ぬほど辛かったのに、また数時間後に昼食にインスタントラーメンを作ってたべてしまったのです。
共通する点として、食べている最中は全く問題がないのです。

で、食べ終わって10分ほどすると、地獄の苦しみが。
ほんと、泣きそうな痛み苦しみなのです。

ラーメン完食後、やはりあの激痛に襲われました。

袋麺だし、もやししかトッピングしてないし、そんなに量はありません。

又1時間ほど泣きながら苦しんだ後思いました。

これでは日常生活を送れない。

食べないと仕事もできないし。食べる度にこの苦しみがあったのではなおのこと何もできない。

主治医のいる病院に電話をしましたが、担当医はオペ中で対応できないし、連絡が着くのもいつになるかわからない。

仕方ないので、救急外来で受診することにしました。

結果、痛み止めをもらうしかどうしようもなかったのですが、その時は専門外の若い救急担当医であったので、次回担当医に受診してもらうことで帰ってきました。

幸い、診察の最後の方に手術を終えた担当医が、血の付いた履物のまま来てくれたので、少し安心できました。
次回、胃カメラを飲まなければいけないかもしれない。憂鬱。

と、いうように術後、少しなれてきたかと思っても油断は禁物です。1年間くらいは用心した方がよいでしょう。