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体罰問題について


本日の朝日新聞に、体罰に関する調査が載っていました。

思いの外、体罰肯定派が多いのですね。

調査対象は現役の学生のようです。

体罰を受ける側ということでの選択でしょうが、気力体力充実している世代で、独特のスイッチが入ってしまってるような感じも多いと思います。

ここはひとつ、優れた指導者でかつ結果(成果)を残した人たちの意見を尊重したいところです。

なおかつ、日本の文化から乖離しないバランスのとれた意見を。

ちなみにボクは体罰は否定します。

最も、昨今問題化・事件化しているのは「体罰」ではなく、明らかに「暴行」です。感情の赴くままと言うよりも、感情を制御できない人の起こした犯罪です。

さらにそもそも。

「体罰」・・・「罰」です。「罰」は「罪」に対して行われるもの。

さて、「体罰」を受けた人たちは、果たして「罰」を受けなければいけないほどの「罪」を犯しているのでしょうか。

言葉遊びではありません。言葉には言霊が宿ります。「万引き」も「窃盗」よりは軽い印象を与えますが、同義です。

人間(日本人)は言葉に引っ張られ、操られると思うのでボクは言葉には敏感で慎重です。

血液型云々などは、遊びを逸脱してしまっていると思います(ていうか、遊びだとすら思っていない人が多い)。だからキライなのです。

脱線しました。

と、言うことで「体罰」の是非にアプローチして行きたいと感じるのです。

一連の事件に関して、良く聞かれたのが「(体罰など)欧米では考えられない」という意見です。

欧米(特に米国)に比べて、日本に暴力が蔓延しているかというと、これは両国国民が自覚していることでしょう。

比較するのであれば、日本は誠に穏やかで非暴力的な国です。

それは地域や社会を平均した部分であり、今回比較されているのが、学校やオリンピック選手などの文化的にステージの高い現場の事です。

まず、当然、ある程度の高等教育を受けている人たちの場であることは前提です。

ここで重要なのが、ボクは宗教的なバックボーンではないかと考えます。

教育と宗教はやはり切り離せないものというか、宗教的価値観にもとづいて教育はなされていると思うので。

日本のベースはは神仏習合で成り立っています。近年はクリスマスだハロウィンだキリスト教式結婚式だとやってますが、これはお祭り(イベント)の域を出ていません。

釈迦は苦行を否定していますが、高野山では千日回峰行を達成した阿闍梨は生き仏として崇められています。

山岳宗教では尾根を駆け巡り、滝に打たれます。

直截的に自分にダメージを与えて高次へのステップとします。これは原罪に対する罰でもあるように思います。最も「原罪」はキリスト教的考え方ですが。

一方、キリスト教文化圏では、聖書にもあるように、キリスト教的価値観では「汝らの内、罪なき者まず石をうて」という価値観がベースです。

前者は自分に厳しい分、他者にも厳しくという論理であり、理解できます。この論理に則って「体罰」に行き着くのでしょう。

で、あれば良いのですが、経験豊富な大人の指導者でも、感情が先行してしまいがちなのです。

まして、それが精神的に未熟な若年層が体罰を与える側に立つことを容認するのは、不安です。

後者は他者に対するリスペクトがまず先行するということでしょう。「果たして自分は目の前の者に罰を与えるだけの者なのだろうか。」

本来「罰」を与えるのは神だけである、と。

宗教的には日本的である自分ですが、どうしても後者にシンパシィは覚える。

よって、「体罰」には懐疑的なのです。

100VS0の価値観ではないので、議論の余地は十分にあるということは付け加えます。

神宿る野間の大ケヤキ
神宿る野間の大ケヤキ
カラスノエンドウはカラスが食べるんだろうか。
カラスノエンドウはカラスが食べるんだろうか。

神大・同志社大のUSJ騒動


早速、名前・顔写真・経歴・彼女・・・まで晒されているようです。

同様な反応は大津のイジメ(暴行致死)事件のケースも記憶に新しい。
(この事件については担任教師の処分が不十分だと思うのだが)

まず、この「人と違うことをして、目立ちたかった」という初志は達成できた、主犯(!)格の神大生。どうするんでしょうね。

きついよ。

せっかく、神戸大学というブランドを手に入れたのに。

学校側は処分を考えてるとのことだが、当然でしょうね。

勉強・テストはできるんだけど、これをこうすればどうなるかという、単純な事がわからない人のようですね。

ご丁寧にブログに事細かに記録発表して。

もう逃げられません。

ネットの情報をすべて削除することは不可能です。

ほとぼりが冷めた時分に就活しても、それなりの会社ではムリでしょう。

身内企業とかではない限り。

名前を変えるとかしても、ムリかもしれない。

とりあえず、Facebookを例にとると。

これまでの自分のつながりを全て切ることはできません。

過去のない人間を雇用するところはない。

Facebookでは友達の数が評価対象にもなりますし、ある程度の数が繋がっていくと、当然賞罰にもいきつく。

そして、現在Facebookからのエントリーしかできない企業もある。
(この件に関しては稿を改めないといけないが、多数のSNSの中で日本におけるフェイスブックの怖さは特筆すべきものがある。先行者利益・既得権益の部分もあるが、一人Facebookだけが信用を与えられた特別なものとして認識されているようだ。Facebook上の生死は実生活の生死に準ずる危険性もある。)

2ch youtube 各種ブログ SNS 無限につながり追いかけられる。

逃げ切ることは不可能。

www(World Wide Web)の言葉通り、逃げ場所はないでしょう。

だったらどうするか。

逃げずに、徹底的に向きあうしかないと思います。

受け止めて、ディスアドバンテージを受け入れて進んでいくしか。

さらには、風車の理論(c:A.猪木)。

確定マイナス評価を逆転させるには。

例えば、出禁になったUSJに客としてではなく、ボランティアスタッフとして協力する。土下座してでも、頼み込んで。

半年でも一年でも、休学してでも園内の清掃活動などを行うとか。

できれば首から「Idiot」の札でもかけて。わざと目立つのもベターかも。

偽善と言われようと、罵詈雑言にさらされようと、半年間続けていれば許されもするし、うまくいけば評価は逆転します。

幸い、今回はけが人や死人は出ていません。

そして、面白半分の威力業務妨害や窃盗(万引き)が被害者にとってどれだけのダメージになるか、身を持って分かるでしょう。

さらに各大学のブランドを汚したことへの償いとして。

しかし、この当事者の顔写真などを見てると、どうもそのようなタマでもないようには思いますが。

ヘタ打った後悔はあるでしょうが、反省はしているかどうか・・・。

壮大すぎて、まずどうしていいのかわかりません
壮大すぎて、まずどうしていいのかわかりません

近頃のたこ焼きについて


最近はたこ焼きがえらく高級なものになってますね。

あくまでも個人的な嗜好ですが、ボクの中のたこ焼きはそのようなものではなかった。

もっとずーっとチープなものでした。

それこそ、「深夜特急」の中で沢木耕太郎がネイティブの人たちに習っておっかなびっくり食べるような、ソールフード的なものです。

なので、築地銀だことか、まあ、食べたことはないのですが、違うんだろうなと。

また、大阪で大阪人が選ぶ一番のたこ焼きらしい「わなか」なんかも、これも食べたことないけど、違うんでしょうね。
(関西での店舗数では「あほや」が圧倒的かな?)

もちろん、両者ともに旨いのであろうとは思います。

旨いんだろうけど、おそらくそれにはまることはないのだろうな、と。

大阪人も最近はたこ焼きの醍醐味を「カリトロ」なんぞと表現したりするけど、自分の中のたこ焼きは特にそんなんじゃなかったしね。

フニャトロ・・・かな?

或いは、売れ残ってて、コゲトロとか。

もっとも、この焦げた奴はオマケでくれたりするんだけど。

しかしこれらは日常のたこ焼きです。

「ケ」の」たこ焼き。

「ハレ」のたこ焼きは少し趣が違って、ちょっと高級。

そう、お祭り縁日のそれ。

これらはちょっと値が張る。

お祭りたこ焼きは置いとこう。

さて、ネットで調べたら、

築地銀だこ・・・6ケ450円

わなか・・・8ケ450円

たっかいなぁ〜。

いや、昔と比べてはいけないけど、自分の中のたこ焼きは3ケ10円だったのよ(´・ω・`)

5ケ10円の噂も聞いたことあるけど。

だから6ケだと20円。

450円だと135ケ wwww  食えん。(アニメ・タイガーマスクの中で伊達直人がたこ焼きを山ほど買うシーンが出てきたのを思い出した。子供の頃貧乏だった伊達直人が、いつか腹いっぱいたこ焼きを食うのが夢だったというセリフを覚えている)

もっとも、このたこ焼きには必ずしもタコが入っているとは限らない。

下手をすると、純度の高い粉モンなわけです。

実際、10年ほど前の豊中・庄内には確か1ケ10円くらいで売ってたし、今でも大正区あたりでは、それに近い値段でオバちゃんが焼いてるし。

たこ焼きがどう進化しようと良い。何度も言うけど、ボクの中のたこ焼きはそうじゃない。

このひたすらチープな、こだわりもプライドもない、ケンミンショーなんかで紹介もされない、ケレンもない、マヨネもかかってない、良いオトナは食べない・・・

で、ところどころソースのついた3ヶ月前の少年マガジンが横にある。

そんな食いもんなのです。

こんなのがありました。なんだこりゃ。パチンコ?
こんなのがありました。なんだこりゃ。パチンコ?

街の中の樹


歩いていると樹になにか張り紙がありました。

道頓堀川の川沿いです。

こんな感じで
こんな感じで

自生しているんだから・・・自生でしょ。所有者ってなんちゅう上から?

自分で生きてるんだ。
アスファルトを押しのけて。

見えないけど、後ろのフェンスも呑み込んで生きてます。

撤去ってなによ。

せっかく生きてるのに。

頑張って生きてる
頑張って生きてる

そっとしておいてあげてよ。

ここに今更なにをしようというの。

※後から気づいたのですが、張り紙に小さく
「オニ」と書いてあります。

ボクと同じ気持の人がいたのね・・・。

いまさらですが


この間。確か、産経新聞だっとと思うが(朝日かもしれないm(_ _)m)。

坂本龍一の反原発デモ参加を批判してた。

散々電子楽器を啓蒙し、儲けておいて今更なんだ!的な。

いやいやいや。おかしいだろう。

じゃあ、なにか。

アコギやクラシックは電気を使ってなかったというのか。

真っ暗なライブハウスでろうそくでも立ててオーディエンスは「チャリで来た」とでもいうのか。百物語か?

20年前の清志郎はどうなるんだ。ガンガンに電気使いながらサマータイムブルース歌ってたぞ。それもダメなわけか?

批判のポイントがおかしいだろう。

いまさらミュージシャンの政治的発言とかを糾弾しようてか。

鈴木宗男に広告塔で引っ張りだされてる松山千春とかは「あ〜あ( ´Д`)=3」と思うけどね。

んで、特に教授シンパでもないし。

しかし、今の大人が全部ダメなんだろう?

批判者の文化人も含めて。

まともに文句言えるのはアーミッシュとかアマゾンのインディオくらいじゃないのか?

オノレも含めて反省を促し、経済原理と個人の保身を考え直すきっかけとなれば。

日本人がこれだけ言えるようになったのは進歩だと思うよ。

まったくヒステリックでもファナティックでもないし。

明後日の方向を貶して失笑を買うのもほどほどに。

ジジイと言われようと、時代遅れと言われようと


佐藤さんのイメージ

言葉は時代とともに変わって行くという。

それはそうでしょう。。

しかし、なんでもかんでも簡単に変わってしまっては、徒に混乱を招く。

自然に淘汰されていくものはそれなりに流れというものがあると思う。

無理やり変えようとしたって変わるものではない。

FMのDJの勢いだけのトークは、全く聴くに耐えないものがあります。

無知不勉強による誤用を、まあいいじゃんと許すのも限度があるでしょ。

言葉を商売道具として食ってる人たちだから。

というか、意味的におかしいし、どうしても聴き過ごせないんです。

今日も、女性DJが「安室奈美恵さんが遂にやってこられます!」とか言ってるんですよ。

なにかぃ?安室奈美恵は外国の王族かなにかか?友好親善のためにお越しになるわけ?

違うやろ?商売でくるんじゃないの?やってくる、でいいやん。

キミたちと同じそっち側の人でしょ。なんでパンピーに向かって敬語なの?

あと、多すぎてウンザリするのが、歌手なんかがスタジオに来た時に「今日は○×さんに遊びに来て頂きました。」って。

これはね、二重に失礼ですよヽ(`Д´)ノプンプン

遊びに来たのか?広告宣伝にきてるんでしょ?100%仕事でしょ?

例えばね。TOYOTAでも日産でもなんでもいいけど、営業員が顧客の会社に営業できて、担当者に商品説明してるわね。

その担当者の同僚が横から「この人は何?」とか聞いた時、一生懸命営業してる人に向かって、「いや、遊びにきてるんですよ。」って言うのか?

仕事が至高のものとは言わないけど、少なくともリラックスして無責任に遊んでる状態と比較するとこの言い方はかなり失礼でしょ?

紹介された側も、なんでそのことに関してクレームをつけないのか、不思議で仕方がないよ。

仕事を遊びって言われてるのよ。

同じように聴いてる側にも失礼でしょ。

さらに言うとね。

歌手とかが同じように「私のライブに遊びにきてください。」とか言う。

遊びに来いって誘っといて、金とんなよ。

遊びに行くっていうのは行く側の論理ですよ。

ま、それはともかく。

何度か書いてる京都FMのわが敬愛するDJ佐藤弘樹さん。

いつも朝からミッドナイトなフンイキで最高のトークを聴かせてくれます。

テレビショッピングとかラジオショッピングとかありますよね。

カーラジオから流れてくると速攻チャンネル変えるんですが。

佐藤さんの番組内でもこの手のCMがあるんですよね。

今日のは秀逸だったwww なぜか?

大体この手の番組は、宣伝説明する人とDJが掛け合いでこれ以上ないクサイオーバーなアクション・エロキューションで寒々しく盛り上げ?るのが定番なのです。   

が。

そこは佐藤弘樹さん。いつもと同じというか、いつも以上に冷静に落ち着いた口調で相対する。

語尾にエクスクラメーションマークがまったく付かないwww

商品説明の女性が必死で感情に訴えかけようとしてるんですが、見事に全部スルー。

なんか聞いててちょっとかわいそうになってくるほど。

で、全く盛り上がらないまま、え?終わり?

でも・・・

不思議と、いつものクサイ演出を聞き慣れているからか、その商品に好感をもってしまってるんですよね。

うーん。恐るべし佐藤弘樹トーク。

違うかっw

仕事今昔


FM京都αステーションのDJ佐藤弘樹さん。何度かブログでご紹介していますが、数少ない傾聴してしまうDJです。

場合によっては、車を停めて聴いてしまいます。

本日のネタはどこかで聞いた覚えがあるような。

現在と一昔前のしごとのありようについて。

現在のしごとのやり方は疲れて当然という切り口でした。

その論拠として。(アレンジ含む要約ですが)

昔はコピー一つとるにしても(湿式コピー)時間がかかった。コピーを立ち上げ、一枚「焼く」のに機械の前にいないといけない。
現在のものと比べると「レンダリングタイム」が必要であり、まあ、いわばボーっとしている時間もあったと。

今はコピーにしても多機能で早い。ほっといても完璧に仕事をこなしてくれる。故障も少ないので、修理にとられるようなムダな時間も少ない。

事務処理一つにしても、エクセルのマクロやVBAを組んでおけば、ミスなく誰でも均一に一定レベルの作業ができ、どんどんと次の仕事ができる。

佐藤さんはそこから、昔と比べ仕事の密度が高くなっているので疲れて当然。今時の若いもんというような理由ではないとおっしゃってました。
そこから疲労をためないようにリフレッシュを云々というようなお話だったかと思います。

このお話を聴いていて考えました。

昔はそれこそモーレツ社員の時代だったので、今より楽とは思いませんが、疲労の種類は違っているとは思います。

多分、今と比べると無駄な作業も多かったかもしれません。

にしても、東宝映画のサラリーマン物などを観ると、終業は押しなべて早かったように見受けます。

サザエさんは波平さんとマスオさんが呑んで帰らなければ、みんな一緒に晩ゴハンを食べてますね。

やはりある意味、単に理想を描いているだけなんでしょうか。

こんな普通の生活が。

これだけムダが省かれ、仕事の密度が濃くなっているのに、残業がデフォルト。

ブラック上等。

とは言わないまでも、構造的におかしな事業所が多すぎるように思います。

朝から春から


朝早く、自転車で坂道を登る。

まともに朝日が坂の上から照らしてくれる。
まぶしすぎて、なんも見えん。

昨日からの雪が凍って、キラキラ。

綺麗なんぞといっておれん。危険、滑る。

北国ならば、スタッドレスがマストアイテムなんだろうが、ここら辺りではつもることなんぞ、年一回あるかないか。

なんで、逆に危ないのよね。

自転車も同じく。

折りたたみの小さなタイヤなんで。

えっこらやっこら、坂道を漕いでいると、後方からサイレンの音。

ピーポーじゃなくて、ウーウーと働く車。パトカーだ。

丁度坂を登ったところにバス停がある。

段々と見えてくると、先程のパトカーと救急車が。

あ、事故か。

坂を登り切ると、その全貌が。

どうやら、単車と車の事故らしい。

詳細は不明だが、バス停に座って手当を受けている人が、結構な血まみれ。
血塗れと書いて、ちまみれと読むんだよー。

申し訳ないけど、たまにこういう状況を見て、気をつけるようになるんだねー。

まだ松の内、今年も気をつけよう。

最近の運動会


集団行動・全体責任の苦手なボクは、昔っから運動会が苦手でした。

走るのはそこそこ早かったけど、やるのも苦手だし、ましてや観るのは退屈なだけ。
世界運動会のオリンピックもほとんど観たことないです。

その運動会もどんどんつまらなくなってるようですね。

なんか都市伝説みたいですが、徒競走の優劣をつけるのが差別的だとしてみんなで手をつないでゴールとかいう笑い話もありました。

昔の騎馬戦は文字通り格闘技だったのですが、ボクらの頃にはすでに帽子の取り合いでしたね。

で、最近、22歳の人と話しててビックリしたのが、組体操のピラミッド。

組みあがったあとは、一斉に崩れ落ちのがお約束だったはずなのですが、なんか最近はひとりずつおりていくそうですね。

やっぱ、崩れたいなあ。ドリフ的に、ぴっぴっぴーーーって。

しかし、これはやむを得ない措置かと思いますwww