最近、言葉は移り変わるもの。誤用に目くじらをたてるなという論調が強いように思う。
そうか?そうなのか?
いや、それは一理あると思う。
「全然」の使い方。
これは打ち消し否定の前提である。「全然」ときたら、否定形で受けなければならない。
と、思うが、かの夏目漱石も肯定の意味で使っていたらしい。
「全然おいしいっすよ!」
いいでしょう。ボクはこの言い回しは「全然”問題点なく”おいしい。」の省略形として存在するのだと思ってました。
でも、まあ、解体すると「全く」「然り」であり、全然問題ないのかもしれない。
その他、いろいろと耳にひっかかる言い回し・誤用が目立つ。
中でもここ最近。これ
「ゲキを飛ばす」「~にゲキ」
これはなんなんだろう。
今日び、キーボードを叩けば「檄を飛ばす」と変換されるはずだ。
検索すればすぐに出てくるはずだ。
文章でメシを食ってる人間が、商売道具をおろそかにしているとしか思えない。
これらはまだ年少の読者も当然、想定しているだろう。
彼らはまず、正統的な正しい由来の知識を身につけなければならないはずだ。
これらの造語?新語?が、知っていて誤用しているのであれば、共通認識の上に立ってのことであれば、ある意味理解もできる。
しかし、これは違うだろう。
多分、「ゲキ」には音感から「激」の意味合いを込めたいのだと思う。まあ、例えそうであっても意味がわからないが・・・。
多分、激しく応援する・叱咤激励するような意味で使いたいのかとは想像できる
「檄を飛ばす」はこれで成句である。
「檄」と「激」は全く違うものだ。
「肺」と「柿」が違うくらい・・・違う。
「檄」=昔の中国で、軍隊に指令を送るために用いられた「木片」のこと、と記憶している。
「檄を飛ばす」=指令文を伝えるということになるか。
又、もしくは、自分の考えをひろく伝えるものであり「檄文」のことでもある。
幕末の「落書(らくしょ)」などもこれにあてはまるかも知れない。
近くは三島の「檄」が有名だろう。
(その三島は、北杜夫の小説名「白きたおやかな峰」に対して北に「激」怒したという。文語と口語をチャンポンに使うとは何事か!と。まあ、レベル的にスーパーサイヤ人同士の戦いみたいなもんなので、この件についてはなんとも言えませんが)
このように言葉はそのバックに然るべき来歴があって成り立っている。
てんでに勝手に好きなようにひねくり回して、コミュニケーションがとれなくなっては言葉として機能しない。無秩序である。
いわゆる「若者言葉」が存在するのは、創造力の発露であって、構わない。
問題はそれに迎合する年長者だ。
そう簡単に誤用が許されるべきなのだろうか。
誤用は多いに叩かれるべきものであると思う。
叩かれまくって、それでもなお淘汰されず生き残っていくものはそれでよし。
ボクの考えね。
ちなみに「かっこいいい」。これは戦後の造語だ。
今、これを言い変えろと言われても、言葉に詰まってしまう。
一つ付け加えると、上記の記事は高木裕美氏と文責を明確にした上で敢えて誤用をしている。
インターネットという、瞬時に地球全域に発信できる方法で。
ボクの感覚だが、昔からプロレス・格闘技関連の記事に間違いが多いように思う。
これらは野球やサッカーというメジャースポーツからみると、どうしても一段下の扱いだった。
それが「ナンバー」レベルの一流誌になると、誤用が見られなくなる。
ここから類推するに、どうしても、無知による誤用ではないのか?と、うがった見方もしてみたくなる。
つーことだ。