※佐渡ヶ島に暮らす幼女、未来ちゃんの日常の写真集。
写真集なので、読書というのもおかしいですが。
つぶらな瞳にふっといまゆげ。お約束の鼻たらし。
撮れそうで撮れない日常の連続をよくここまで集めたものです。
あえて笑顔が殆どないのですが(少しあざといか)、そこはかとない可愛さに充たされ、癒されます。
著者のことは全く知りませんでした。もしかしたら、ゲームの好きな人にはかなり有名なのかもしれません。なにせ、ゲームの世界チャンピオンでギネスブックに載ってるくらいですから。
ボクはゲームの類は全くやらないのですが、(むか〜しに少しだけアーケードゲームをやったことがあるくらい)何故か惹かれて読んでみました。
ゲームとしてのマーケットはもちろん恐ろしい規模になっているということは知っています。
今現在ではスマフォでしょうか。極端に知識がないので、敢えて調べて書くことはしません。
知らないなりにこの本も読んだのですから。
一つには著者がゲーマー⇒雀士⇒介護ヘルパー⇒プロゲーマーという興味深い人生を歩んでいるというところに食いつきました。
福祉介護の経験がなければそれほど魅力には感じなかったかも知れません。
人生、振り幅の大きい方が楽しいですから。
無知なりに、ゲームの世界をわかりやすく読ませてもらいました。
じゃないの?とかもひっかかったりしました。
おそらく、ボクが想像するよりもはるかに競技ジャンルとしては確率されているのでしょうね。
本書の内容によって、薄々はわかったように思います。
なかなか文章は読みやすいですね。
かなり特殊な職業(除く介護)なのですが、主張はかなり普遍的です。
やってることは最先端?ですが、正確はどちらかというと不器用で古風です。というか、「古風」なのかもしれません。
ゲームを辞め、麻雀を辞め、介護を辞め、現在はプロゲーマー。
なぜそれらを続けることができなくなったのか。どうもその辺りがはっきりと書かれていません。著者ははっきりと書いたつもりなのかもしれませんが、門外漢であるからなのか、ボクがそんなにギリギリの生き方をしたことがないからなのか、結局わからない・納得できないのです。
多分、「イチロー」とかに近いのでしょうね。とことん追い込んで、勝ち続ける。
本来、ゲームは楽しむためにするのであってそれが本分かと思うのですが、著者は気軽にゲームセンターに誘う友人に語ります。「おれにとってゲームは遊びじゃないんだけど」。
世界チャンピオンから抜け殻のようなどんぞこへ。そしてまたギネスブックに載るような人生。
中学生に読ませたいですが・・・それもひとつのギャンブルかもしれない内容です。
著者は新聞等の解説などでお名前を拝見しますが、本を読んだのは初めてでした。
すでに日本に帰化しておられるのですね。あまりにも日本寄りな切り口に、さもありなんです。そこまで言っていいの?という感じで。
現在はネットの普及や経済成長に伴う、海外旅行の体験から、とっくに閉じられた情報ではない中国です。
この石平さんの発言も逐一中国語に訳されて、ネットに出回っているとのこと。
本書に出てくる話しではありませんが、新唐人テレビなどはニューヨークに本部を置いて中国語で発信しており、本国の検閲も受けないらしいです。
中国の経済破綻もカウントダウンに入っているとかは、新聞・ネットでもかなり以前から言われていますが、どうなんでしょうね。
中国富裕層の海外流出が止まらないとか。中国共産党は有事の際には財産を守ってくれないのが見えてるという理由です。
当然、金を持っている中国人民は良いものがほしい。
となると、海外製品である。直接日本や欧米諸国に買いに行く。中国国内消費は伸びないまま。
人民の経済格差もどんどんと広がって行く。
不満が爆発。発展に伴うジレンマ・負のスパイラル。
で、とりあえず、共通の敵を作ってしまえ。一番手っ取り早いのが加害敗戦国家「大日本帝国」だ・・・と。
本書によると、反日デモの際、集まった人民は反日云々でもなく、日頃の鬱憤晴らしに参加しているようです。現在の出口の見えない経済格差よりも、みんな平等に貧しかった鄧小平の昔を懐かしむ人が多いそうです。
はっきり言って、尖閣諸島など、明日の、いや今日のメシと較べたらどうでもいいことでしょう。
本書に明記されていることで重要なポイント。中国においては政府も軍も関係ない。何が何でも共産党そのものが唯一絶対の存在であるということ。
これが共産主義という一神教の宗教であれば良かったのですが、それが求心力を失いつつある今、もっとはっきり言えばITによる情報の共有化・コモディティ化で、その神通力を失いつつある今、不満の噴出を抑えられずに一気に崩壊しないのが、むしろ不思議ですらあります。
中国経済の失速は止められないのでしょう。
手負いの巨龍は怖い存在です。
素人目に見ても、アンバランスに成長した国家ですから、ムリがくるのも当たり前かと思われます。
それはともかく、東アジア全域で考えると、暢気に構えている場合でもありません。
運命共同体的な部分も少なくい、と言うか大いにあります。
特に中韓について言えることですが、あまりにもお互いのメンタリティの差をおろそかにし過ぎではないでしょうか。「お互いに」です。ある意味近親憎悪とも言えます
ネットなどを見ていても、ヒステリックになりすぎているのは否めません。
それは欧米や中東(特にイスラム圏)なども同様なのですが、やはり隣国なので。
「日本人は、古代中国には深く大きな尊敬の念を抱いているけれど、現代中国(第二次大戦後に建国された中華人民共和国)には敬意を持てない」というのが大方の意見のように思います。
著書の中で、漫画やSFが好きだと何度も書いているので、おそらく、「アルジャーノン」も好きな作品の一つなのでしょう。
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作者はかなり重度の身体障害者です。首から下が麻痺しており、殆ど動きません。
生まれつきではなく、12歳の時に、海に飛び込んだら見えないテトラポッドがあり、頭から激突。頚椎を骨折して障害を負ったとのこと。
考えるだけで恐ろしい事故です。
現時点でまだ、25歳。高校生の時にネット起業し、大金を得ます。アフィリエイトがメインのようですが、様々なビジネスを行っているようです。
体が動かないのですから、当然、アイデア勝負であり、PC・ネットというツール・インフラを最大限活用してマネタイズしていきます。
現実に収益を上げているのですから、まさに錬金術。
かつては察することもできない、どん底の絶望でしょう。
実際、本書でも絶望と希望のバランスについて触れられています。
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アフィリエイト・情報商材というのは非常に胡散臭い。儲かったところで、その再現性にも疑問があります。
と、いうような言い訳?で、避けて通ってきたようなところもあります。
いや、情報商材などは、感覚的には99%が詐欺まがいでしょう。
そのような経験もあります。
著者はそんなことは自明の事で、分かった上でエネルギッシュに踏み分け踏み越えてていきます。歩けるわけはないのですが、バイタリティに押し進んで行く様が目に浮かびます。
乙武さんではないですが、バーチャルな世界だけではなく、リアルな世界にも超積極的に出ていき、多くの人とふれあいます。
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語り口が極端で毒舌に感じることもあります。
曰く。
嫌われても構わない。嫌われる代わりにその分シンパも増えていく。嫌われることを恐れていては、始まらない。半ば確信的に嫌われるようにもしている、と。
体が動かない分、考えて考えて考えて考えぬいた結果なのでしょう。
確かに鼻につく部分はあります。昔、ホリエモンに対して感じた「イラツキ」を覚えるというかw。
資本主義と共産主義をそんなに簡単に断じられてもなあ。この本全体でも薄くて、普通に一気に読める分量なのに。 などであったり。
しかし、結果を残している人はそれだけの説得力も持ちます。
何より、嫌な部分も包み隠さず出しつつ、非常に単純明快に自分の生き方・やり方を説いていきます。
優れた人ではありますが、何と言ってもボクよりかなり年下。
それはなあ・・・。みたいに感じる部分もあります。
ポイントとして、3つ上げる式の書き方が多いのですが、結構、単純で普段からそのようにしていることだったりします。
当然のことがなかなか難しかったりはするのですが。
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気づける人間になるための三か条。
抜き書きさせて頂きます。
(1)人をバカにしないこと
(2)必ず質問をすること
(3)わからないことは必ず調べること
ん〜、これだけ書くとなんだそりゃ、ですが、特に(1)は気の緩みからつい、おろそかになりそうです。
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もちろん、本書は全部賛同できる内容ではありませんが、次世代の可能性を感じさせる人だとは思います。
Facebookなども見てみてください。
在日コリアンには、ダブルスタンダードな生き方を選ばざるをえないのかもしれない。
本書の内容、自伝の部分は多少ドラマチックな切り方があるかも知れないけれど、赤裸々な葛藤の真実だと思います。
どうしても韓国人の気質として「火病」と言われるような、ヒステリックなイメージがつきまとう。
あながちステロタイプとも言えないように感じます。
一方姜尚中は、テレビでしか見たことはないけれど必要以上にトーンが低く、ウィスパーボイスとも言える、感情の起伏を見せない、常に論理的な語り口と佇まいです。
意識してそうしているのでしょうか。
この自伝の中では、秘めたるマグマのような静かな熱さを感じます。
事実、学生時代は運動家でもあったとのこと。
先ほどのダブルスタンダード、ネットなどでは「二枚舌」とも書かれています。
日本国内での本書のような発言と、韓国マスコミに向けた発言内容との差があまりにも激しすぎるせいでしょう。
しかし、テレビで美術・絵画の解説を穏やかにしている姜尚中が本来の彼であり、本人も望む自分自身であるような気がします。
だが現在、未だそれはつかの間のことであり、許されないことなのか。
在日の「作られ方」、生き方。
諦念にも似た、「在日とはなにか」をまとめた本かと思います。
好きなのですが、シンパシィは今ひとつ得られない。
梁石日の父親がモデルらしいのですが、どこまでがフィクションなのか、あるいはほぼ事実なのか。小説の持つリアリティとしては、もはやどちらでも良いのかもしれません。
ページを破ると血と内臓が出てきそうな、そんな小説です。
この長さで、良くこれだけの登場人物と大小のエピソードをぎゅうぎゅうに詰め込んだものです。
登場人物名について、ロシア人ほどではないですが、朝鮮名では誰が誰だかわからなくなります。
描かれる視点が状況によって変わっていき、主人公が誰なのか、誰の視点で感情移入すれば良いのかという点にも、読んでいて翻弄されます。
誰か一人を主人公に、というのであれば、やはり父親・金俊平でしょう。金俊平が大きな幹となり、全てを突き破る邪悪で粗暴な巨木の周りに身内や周辺の登場人物たちが否応なく巻き込まれていきます。
この主人公の特異性は、国籍や時代にはあまり関係ないでしょう。今の時代にどのように生きていけるかは分かりませんが、どの時代であっても社会に適合できることはないと思います。
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読んでいて思い出したのが、「じゃりン子チエ」。
作者の梁石日と、はるき悦巳はおそらく同じ空気をある程度吸っていたのではないでしょうか。
大阪市の生野区と西成区。
かまぼこ屋とホルモン屋。
又、「じゃりン子チエ」には「男はつらいよ」に対して相似性を感じます。さくらを主人公に大阪を舞台にした「男はつらいよ」。ずっとそんな気がしてました。
テツに対するのは寅さんです。
一方、こちらの「血と骨」の主人公・金俊平は”リアル・テツ”という感じ。
生まれつき粗暴で、偏狭な価値観を持ち、金に汚く、ヤクザもビビって逆らわない一匹狼。
違うところはテツは女性に対して極端に純情である(ここは寅さんと一緒)のに対し、金俊平は強姦などもなんとも思わない鬼畜の性欲モンスター。
この点はテツとは大きく異なります。
遠慮せずに言えば、本作の主人公には一片の共感も持ち得ないし、まさに唾棄すべき人物ではあります。
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読後にはなんとも言えない感情が残ります。
できれば、是非とも読んでもらいたい小説なのですが、内容や表現があまりにもリアルで、作中にも度々使われる表現「汚穢」が、形而上形而下にこれでもかと描かれます。耐性のない人には辛いかもしれません。
どっちみち、山ほど出てるし、同じテーマでも著者によって言ってることが180度違ったりするし。
斜め読み(これも速読だと思います)でポイントを探しだす嗅覚を鍛えるのが良いと思います。
50歳くらいからもう一度勉強をするというススメです。
しかし。
著者はもともと優秀です。
50歳の時点で功成り名とげてかなり余裕があります。(運転手付きの高級車とか)
ただ、こういった「元々のデキが違うんだよ」みたいな自分への言い訳には意味がありません。少々鼻につく自慢に思えるような部分もありますが、ここは本書の主張を素直に傾聴した方が良いでしょう。でないと読書時間がむだになります。
著者は60歳でMBAを取得したらしいのですが、同じことをする必要はないからです。
又、まずは学ぶ環境を整えろと書いてますが、どうやったって著者の言ってるレベルが違うでしょう。
普通は時間など取れないのが大方の現状。
出来る範囲で行いましょう。楽しんでやること。
書かれている事自体はモチベーションをあげてくれると思います。
具体例など全部読む必要はありませんが。
読んでてまず思いました。
のび太くんが主人公で、ジャイアンとスネ夫も出てきます。
なぜかしずかちゃんが二人いるのですが。
肝心のドラえもんは誰でしょうか。
☆ ☆
さて、村上春樹を全部読んでるわけではないですが、初めての投げっぱなしジャーマンでした。
いろんなものが放置されたまま・・・。
何度か読まなければならないのかな。
「カフカ」や「1Q84」のような、同時進行パラレルパターンでもなく、本来ならば気持ちよく読了できるような内容なのかなと思ったのですが、あにはからんや。
あの件とあの件と、それとあれはどうなったんだ?という読後感。
でも嫌いじゃないです。
☆ ☆
なぜ名古屋が舞台なんでしょうね。
名古屋ジモティの登場人物たちが沢山でてくるのに、名古屋弁がまったくない。
あえて、そうしてるんでしょうか。違和感。
で、ジャイアンの会社は名古屋なのでトヨタのディーラー。
トヨタと村上春樹にはなんらかの契約とかあるんでしょうか。
もちろん、自分と自分の作品の影響力はわかってるでしょうに。
あんなにレクサスを連呼して事細かに解説したら、CM効果はかなりあると思います。
やはり短い作品だし、再読してみましょうか。
なんか発見がありそうです。
あまりの人気と孤高の芸人としてのミステリアスな部分が、いろいろな掘り下げられ方をするのかもしれません。
その割には同じ芸人で、この人は渥美清のフォロワーだな、と思える人がいないようにも思えます。
まあ、比較されるのはやぶ蛇になるのでしょうが。
沢山の渥美清本というか寅さん本がありますが、本書はなかなか読み応えがありました。
渥美清の作られ方、育ちから語られます。
学歴詐称(本書によると)。Wikipediaにも中央大学中退と書かれていますが、実は小学校しか出ていません(だそうです)。
貧乏ではありますが、両親共インテリ層であり、夭折した実兄も秀才であったようです。
そして、病気から学校の勉強について行けず、グレて本物のヤクザになったあと、テキ屋にもなります。
任侠と新農の両方を経験しているのです。
寅さんシリーズ珍しいシリアス路線(?)の「男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎」で、客演に東映ステゴロNo.1とも言われた渡瀬恒彦を向こうに回して格上の雰囲気を漂わせていたのもうなずけます。
兄が秀才であった事実は、「男はつらいよ」第一作の冒頭ナレーションでも出てきます。
渥美清はリアル寅さんであったようですね。
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本書では渥美清の話芸の素晴らしさにスポットを当て、繰り返し称賛しています。
もちろん、それはその通りで今更言うまでもないことなのですが、ボクは常々それに加えて渥美清一流の所作が加わると思っていました。
これは軽演劇のキャリアから来ているものなのでしょう。
軽演劇出身共演者の森川信や佐山俊二にも同じ匂いは感じるのですが、渥美清はとりわけ品が良く粋を感じます。
例えば、何気ない所作なのですが、何かひらめいたような時に自分の右手の甲を左手の平に小気味よく打ち付けて「パチッ」と音を立てる。実はコレが好きでボクは密かに真似したりしてるのですが。
こういう細かな動きを話芸と併せて行う所が比類なき渥美清の芝居だと思います。
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イラストを南伸坊が担当しているのですが、控えめで良い感じです。
普通、渥美清の似顔絵というと、自他共に下駄と形容する四角の輪郭なのですが、今回南伸坊は丸顔というか、曲線で書いています。でも、確かにこれは一番元気だった頃の寅さんだなあと感じさせる良い絵だと思いました。