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読書レビュー:絶望名人カフカの人生論≠鬱 負のパワーも風車の理論で


「鬱」が社会問題としてクローズアップされてから久しくなります。

この問題に関しては自分自身の人生に大きく関わっているのですが、ここに書くほど消化されていないし、長くなるので割愛します。

カフカが生きた100年前には、まだ「うつ病」の概念もなかったかもしれません。

実際、この本を読んでもカフカ自身はうつ病ではありません。
自殺をはかったことも一度もなかったようです。

察する所、自虐的な性格の偏屈です。おそらく。

これは新聞広告にも使われていたので、引用しても良いでしょう。

恋人にあてたラブレターの一節。

「将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。
将来にむかってつまずくこと、これはできます。
いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。」

まあ、誰に対してもこの調子なんですね。なかなかに味のある言葉で、ボクは嫌いではありません。

しかし、カフカほどではないけれど、似たタイプはいますよね。

ダメな自分を故意に強調して逆に自慢にしてしまってる、そんな自分が大好きなウザいヤツww。

地獄のミサワ的?

カフカがそうだとは断定はしませんが。

本当のところは、体力知力にも恵まれ仕事をこなす能力もあって、順調に出世していったそうです。

最も、カフカ自身は専業作家として大成したいのであって、サラリーマンで出世したって、なんの達成感もなかったのでしょうが。

この本はページをめくるたびに、カフカの「愚痴」で、ひたすらそれを現代へのメッセージとして解説しています。

20世紀最高の小説家と言われるカフカでも、こんな後ろ向きのダメダメな人生だったのですよ、と。

最後は病気に憧れて、やっと?病気になり、若くして亡くなります。

ある意味、非常に”甘ったれた”ヤツのようです。

恵まれた環境に生まれ育ったにも関わらず、常に後ろ向き。

ところで、世間では尾崎豊は生前も死後も賞賛されています。

ボクは昔から彼(尾崎)にも、彼に向けられた賞賛にも同調できませんでした。

先日、新聞の投書欄に、尾崎豊と同年代の男性からの文章が掲載されていました。

その人は非常に貧乏であったので苦労をして学校に通っていたそうです。

その時に流行っていたのが、尾崎の「15の夜」。あれですね。オートバイ窃盗犯の歌ですねww。

自分は日々の食事にも困りながら苦労して学校に通っていたのに、実際には非常に恵まれていた尾崎が単車を盗んだり校舎のガラスを割ったり(「卒業」)(などという行為を単なる若いエネルギーの発露と正当化するような歌詞を歌って)と、甘ったれるんじゃないという怒りを感じていたそうです。

そうなのか。

ボクの違和感もそのあたりにあったのか(と、言うより当時は暑苦しいだけで、全くオリジナリティを感じなかった)、と、思った次第です。

カフカにも少し似たような感じもあるのでしょうか。

ま、尾崎と比べるのもアレですが。

カフカを後世に残るように紹介出版し続けたのは、学生時代からの親友で小説家として成功しているブロートです。

そして没してからカフカは世界的な名声を得、逆に流行作家であったブロートはその紹介者としてのみその名前をとどめます。

実に皮肉な話。

ボクは・・・どちらかというと、ブロートの人生を選びたいですね。

かなりむかーしに「変身」を読んだきりだと思うので、他の作品も読んでみましょう。

編者の頭木さんは、カフカ全集の「日記」がめちゃめちゃ面白いと書いておられます。

読書レビュー:暴力団 (新潮新書) 溝口敦


タブーに挑み続ける溝口敦さんの暴力団に関する最新刊且つ集大成であると自ら書いておられる。

確かにこの新書一冊で、実に多角的な「暴力団」の解説書になっていると思う。

さて、圧力に屈せず、沢山の告発をされてこられたノンフィクションライターである。

その一方、言わずもがなではあるが、多くの映画・漫画等の原作にもなっている。つまり、エンターテインメントであるし、それらはヒットし、多額の収入を原作者にもたらしているはずである。

本書のなかでも、暴力団廃絶を訴えている。にも拘らず、言い方は悪いがその暴力団が飯の種。このジレンマをどう解釈すれば良いのか、今のところ分からないが、この場では措いておきたい。

現実に五代目山口組組長渡辺芳則についての出版を強行した時には、その数カ月後に刺されたとのこと。

公に書かれていない駆け引きもあったのか、詳細はわからないが、命がけであることには違いない。

現在の暴対法・暴排法によって、従来の暴力団は弱体化し、羽振りの良さも格好良さもなくなり後進はほとんど育たなくなっているらしい。

変わって台頭してきたものが、組織力やかつての秩序をもたない小規模集団ギャングもしくは個人達で、筆者はそれらを「半グレ集団」と呼んでいます。

本書の要約をしても仕方がないので、端折りますが、暴対法・暴排法はそれなりに機能していると。

暴力団と呼ばれる犯罪者集団は早晩消滅するであろうと予測しています。

暴力団は「必要悪」と呼ばれることもありました。

実際、ボク個人は彼らは自身のシマを守るためではあるけれども、一種自警団的な機能もあるのではないか。中国マフィアや不良外国人に対する抑止力にはなっているのではないかと思っていました。

本書ではシチリアマフィア(マフィアというのはイタリアの犯罪集団ギャングのことではない)、香港マフィア、台湾・中国流氓(リュウマン)、南米のコカインカルテルなどの説明もされています。やはり怖いのは台湾と南米のようですね。中国は案外ヘタレらしい。いや、その方がいいけど。

で、それらが野放図に日本に入ってきた時に、暴力装置である警察が対応できるのか、という不安は抱いていました。

この件に関する明確な答えはなかったように思いますが、暴力団そのものが消滅しても、結構大丈夫だという見解は書かれています。

清水次郎長や幡随院長兵衛の昔から(もっと昔だけど)そういった治安のための公権力と密接に結びついてバランスをとっていたヤクザ〜暴力団の消滅がどういう日本を作り出すのか。本書を参考に考えていきたいと思います。

読書レビュー:のり平のパーッといきましょう


聞き書き・小田豊二 と、なっています。

10年ほど前に日本一(世界一)の切られ役・福本清三さんの聞き書きを同様にヒットさせた編集者です。

福本さんのハリウッドデヴュー(ラスト・サムライ)の効果もあって、続編も作られた佳作です。

しかし、こちらの方が完成度は高いと思います。

まさに聞き書き、三木のり平の口調、所作を彷彿とさせてくれます。

少し前までは「エンタの神様」などをちょくちょく観ていたのですが、最近はテレビ自体をほとんど観ていません。

この本は全芸人(お笑いだけではない)が、須らくバイブルとして持つべきだと思います。

もっとも全員が三木のり平でも困りもんですが。

芸人としての矜持の持ち方を教えているように思います。

聞き手を通して、芸人とは何かと問いかけているようにも思います。勿論、ビートたけし同様江戸っ子のシャイさで、そんなことはおくびにも出してませんが、ボクの勘ぐりです。

にしても、三木のり平というのも想像するに、後輩としては怖い存在であったのだろうと思います。

小田豊二さんはよくぞここまで肝胆相照らす仲になれたもんです。

当の三木のり平さんがそう言って感心してるのだから間違いない。

このタイトル「パーッといきましょう!」はご存知東宝喜劇の「社長シリーズ」中に演じた当たり役の宴会部長の決め台詞。

もっとも三木のり平を端的に表す流行語です。

しかし、ご本人はその映画をあっさり否定?してしまいます。

社長シリーズなんてクソだよ・・・と。

そこまで言うか?

どこまでが本音かは知りませんが、のり平師にとっては舞台(ライブ)こそ至上のものらしい。

本名田沼則子(ただし)。この名前から女性だと思われ、終戦の5日前まで召集令状が来なかったらしい。

で、戦後、遊びはひと通り、というか生まれ育ったのが花街。

一時ヤクザの一家に身を寄せていたということも語っています。

「遊びは芸の肥やし」を地で行った人です。

しかし、巻末近くに掲載されている奥さんとの(結婚後!)の往復書簡(ラヴレター)の素晴らしさ!!双方に文才があるので、個人的なものなのに読ませてくれる。

写真も多く掲載。

一緒に写っている面々がまたすごい。

森繁・フランキー・淡島千景・乙羽信子・大村崑・藤山寛美・・・

写っているご自身の表情・躍動感も感動します。

小田さんъ(゚Д゚)グッジョブ!!です。

読書レビュー:パチンコに日本人は20年で540兆円使った (幻冬舎新書) 若宮 健



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若宮健氏のъ(゚Д゚)グッジョブ!! 二冊目です。

なんか、たまたまこれを書いている隣の部屋からテレビの音が聴こえる。観ていないのでわからないが、急成長を続けるマニラのカジノを紹介しているようだ。

マニラはラスベガスを抜いて世界一のカジノになったそうだ。
税収の7割がカジノによるものであるとテレビは伝えている。

そのことも本書には記載されている。

本書のタイトルには「540兆円」という数字があるが、直近の数字では我が国日本のパチンコの総売上は年間20兆円規模。
世界一のカジノのマカオの「十倍」なのだ。それでも10兆円(!!)ほど減って業界も大変らしい。5兆円あったら大阪市の借金なくなるんですけど・・・。

基本的には前著「なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか」と重複する部分もあるのだが、2冊とも読んで全く差し支えはない。焼き直しのレヴェルではなく、切り口を変えてより厳しくまたショッキングに現状を伝えている。
これは東日本大震災がその間に起こったことと大きく関係をしている。

石原都知事は震災後、自動販売機とパチンコの無駄な電力消費について批判を行なってきた。
なぜか個人的には自動販売機の件に目が行ってしまい「そりゃ、的外れだろ」と思うにとどまってしまった。

しかし、改めて考えるにパチンコの明らかに過剰で下品なネオン・パチンコ台そのものの電力消費これは珍しく石原氏の意見に賛同する。

東北では義援金までがパチンコ屋に吸い上げられてしまっているという。

石原都知事は、少なくともパチンコ利権とは無縁らしい。しかしパチンコを断罪するのは結構だが、その一方で東京にカジノ誘致とはなんなのか。

これは当然大阪の橋下氏にも言いたい。

世界一の賭博場国(勿論、パチンコのことである)にさらに大規模な賭博場を設けてどうしようというのか。

国及び地方自治体の大借金をバクチで穴埋めするのが健全な方法なのか。

百歩譲って、国営賭博なので民間違法賭博であるパチンコよりもマシとは言えよう。富裕層のみをターゲットにし、外貨の獲得を主眼におくのであれば。アラブの王様に来てもらおう。

しかし、これだけは言いたい。

外国向けには目を瞑るとして、国内では「カジノ」という呼称をやめてほしい。格好良く言い換えないでほしい。常に公式・マスコミにおいては「賭博場」「博打場」などの呼称を徹底するべきだ。バクチはバクチなのだ。

ギャンブラーなどと言う必要はない。遊ぶ人は全員「博打打ち」だ。ルーレットもチンチロリンもやってることは一緒なんだから。

掛け金が高くても、ドレスコードがあってもバクチはバクチ。

本書の内容は実際に読んでいただきたいので、かなり脱線した持論となってしまいました。

パチンコに関しては、ぜひ全廃の方向で。しかし、昔のほんとの意味で遊べるパチンコは良かった。

全てがダメと言う気はない。

せめて電役(懐かしのゼロタイガー)あたりで止まっておけば、これほどの病んだ状態(主に依存症の引き起こす悲劇)にはならなかったのではないか。

政治家の利権問題、警察の天下り問題、三店方式の違法換金問題も残るのではあるが、全廃ではなく縮小が望ましいとも思う。その方がさらに難しいだろうか。

どうしようもないパチンコの片棒を担いでいる人気アニメや歌手。小遣い稼ぎで休日のゲストでホイホイ出かける芸NO人には猛省を促したい。

和田アキ子はもぉどうしようもないかもしれないが、いいかげんにしろよ郷ひろみ。お前パチンコやったことあるのか!?

憂国の士というのであれば、各右翼団体のお歴々。パチンコメーカーやホールに突撃したらどうですか?

読書レビュー:ウルトラマン青春記―フジ隊員の929日



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日本の二大スーパーヒーローと言えば、ウルトラマンと仮面ライダーだろう。勿論ロボットやその他のアニメなどを見渡せば異を唱えることもできるのだが。

実写として始まったものとしては、この二者で間違いはないと思う。

一時中止はあったものの、現在までシリーズが連綿と続いていることを見ても分かる。

これらの亜流・傍流はあるので、必ずしも「ウルトラマン」であり「仮面ライダー」である必要はないと思うのだが、やはり名前を継承しないと成り立たないという読みがあるのだろう。

ゴレンジャーを始めとする「戦隊物」という流れもあるが、これは複数の等身大ヒーローという一定のくくりを踏襲するだけで、作品の世界は区切られ全く別ものという設定がされている。

さて、オリジナル「ウルトラ」「ライダー」の二つには手探りで創造し、パターン化していった物語があり、やはりオリジナルのもつ内容の濃さは一味違う。

その一方の雄、ウルトラマンのレギュラーで紅一点の役を担い、女性隊員というポジションを確立させたのが、当時まだ十代であった桜井浩子@フジ隊員。

個人的には「怪奇大作戦」のゲスト出演時の、数年前とは見違えるような色気をまとった漆黒のロングヘアーが印象的だった。

美人か、と言われると・・・当時から「?」であった。

眉が濃く、瞳が大きく、少しバタ臭い印象を受けたものだ。

なにせ、子ども(ボク)ながら色気というものを全く感じさせなかった。
(それが一転、怪奇大作戦のゲストで大化けしてみせてくれたので、余計に印象的だったのだ)

それにしても、科学特捜隊というのも、地球の平和をまかせるにはあまりにも頼りなさすぎる感じだった。ムラマツキャップだけが、なんか孤軍奮闘している感じで・・・
イデ隊員に至っては、途中オノレ(科特隊)のアイデンティティまで見失って悩み始める。

で、この本の著者であるフジアキコ隊員は連絡係なのだが、ほとんど高校野球のマネージャー状態。しかし、少年隊員のホシノ少年のお姉さん的な立場なので、視聴者(ボクたち子ども)が作品世界に抵抗なく感情移入できる触媒としての役割は大きい。

だから、お色気など微塵も必要ないのだ。うん、それでいい。

さて、本書の中には、フランスを始めとするヨーロッパ映画の俳優名が沢山出てくる。ヌーベルバーグの立役者ジーン・セバーグに憧れて、連続番組であるウルトラマンの流れなど無視して髪を切ってしまうエピーソード。

円谷一とデート?で映画の話などをして、タイトル通りまさに青春まっただ中。

日本中が毎週その一挙手一投足に注目している超人気番組であるにも拘わらず、結構ご本人達はそのような感じでもないのだろうか。

撮影の合間もボードレールの詩集などを愛読していたそうで、文章からも文学少女の片鱗が伺える。

高度経済成長のエネルギーを感じさせる、ウルトラマン成長期。女性(少女)の目から書かれているところがまた楽しい一冊。

読書レビュー:バフェットとグレアムとぼく インドの13歳少年が書いた投資入門


かなり飛ばし読み。

「インドの13歳少年が・・・」っていうところが、なんか嫌だ。

「13歳の天才少年が」って書いて欲しい。

投資の素人(の大人)が読んだって、ついて行けませんよ。
泣き入りました。

でも、文章がわざとらしく平易で口語体なのが・・・。
まあ、僻みですけど。

もいちど、勉強します。失礼しましたm(_ _)m

読書レビュー:空気を読むな、本を読め。 小飼弾の頭が強くなる読書法 (East Press Business)



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常々書評ブログ「404 Blog Not Found」をチェックしている小飼弾さん。

本人の言が間違いなければ(ウソじゃないと思うけど)世界一の読書量じゃないのか?と思ってました。

単純に冊数でカウントしてもアレですが、小学生の時に一日50冊以上とからしいし。
どんな頭してるんでしょうね。

でも、めちゃめちゃ頭いいのは間違いない。

ホリエモンの盟友・・・ですよね。

本職はなんなんでしょう。とりあえず、もともとはプログラマみたいです。

これまでに難解な本をたくさん読んできたのでしょうが、この本はとことん読みやすさを追求した作りだと思います。

特に難しい言葉も出てこない。

何より字がでかい。行間が広い。図解イラストが多い。

すぐに読めてしまいます。

きっと、中学生の読者を想定して書かれたのかなとおもいます。(ちょっとアダルトな部分もあります。)
もちろん、大人が読んでも十分な刺激は与えてくれます。

高等なことを簡単に。これは一流のライターのみがなせる技だと思います。

伊達にアルファブロガーを自称しているわけではありません。

本の中で、最近のフィクションの「長尺化」に苦言を呈しています。

マンガも含み。

「ドラゴンボール」はあんなに長くする必要はない。これは出版社・編集者のビジネスとしての思惑であると。

それは私も思います。

ボクは今読んでて、もうすぐ読み終わりますが、村上春樹「1Q84」。ハードカバーで3分冊。

先日発売された文庫版では全6冊になっています。

長いのが悪いとは思いませんが、これまでの作品と比べても冗長にすぎると感じます。天下の村上春樹に対して生意気ですが、感じるものは仕方がない。

意地になって読んでるけど、他の作品の方が面白いもの。

とか。

テレビを見る暇があったら本を読め、と弾さんは言い切ってますが、自分も結構テレビ出てませんでした?

言われるまでもなく、ボクはあまりテレビを観ないので、よく知りませんが。
サンデープロジェクトは出てましたよね。

周りとの話しを合わせるためにテレビをみるなら、その時間を読書にあてろと。
それはその通りだと思います。

あとはこの本を読んだ本人が実行できるかどうかの話しなので、弾さん、惜しげも無く読書のテクニックを公開しています。小手先の技術ではなく、ベクトル的な部分を。

ほんとに簡単なんだけど、読み応えが残ります。

読書レビュー:心に成功の炎を


感想文。

今更、天風先生の発言についてあれこれいうのはおこがましすぎます。

しかし、高い本です。1万円以上。
少し大きめのハードカヴァーですが。
それだけの値打ちがあるということでしょう。逆くに 大量に流通させないためか。

天風先生の口調をおそらく正確に再録していると思われます。

江戸弁で落語の聞き書きのよう。

お坊さんの説教にも似ている。

実際、ご自身が小さい頃に連れていかれた講釈場の体験も語られています。

なのでくだけたべらんめぇ調。なのに、肝心のところになると極端に難しくなる。

鼻歌交じりで歩いていると、突然目の前にとてつもなくたかい 高いハードルが現れた感じじ。
なので、結果分かりそうで分からないんですよね。

信仰心などは皆無。

しかし、昭和40年代の初めに「オーラ」という言葉を使っておられる。

一般的に通じたのかしら。

とてもまとまらない感想文でした。

読書レビュー:清貧と復興 土光敏夫100の言葉



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つまり、この時代に最も求められる人ということか。

この時代に限ったことではないが。

「無私の人」「メザシの土光さん」と呼ばれた傑物。

その面構えはなんとも言えず、格好いい。

決して孫さんや柳井さんが(ホリエモンや三木谷氏は置いといて)ダメなんということはないのだが、やはり比べてしまうと何枚か落ちる感じ。

数多ある土光敏夫関連の書物から、その語録を100に厳選して抜き出し、時代背景などを交えてまとめた良書。

未曾有の不況と東日本大震災及び原発禍の今、原発を引っ張ってきた立役者として、泉下でさぞかしお怒りのことと思われる。

信頼出来る人に指示を出し、常に「全責任は俺がとる」と言ってきた人だ。

土光敏夫、一本通った太い筋がブレないということにおいては、最強。

良く「頑固」という言葉を形容詞として使う。

これは「頑迷固陋」の略だと考えているのだが、どうだろうか。
で、あれば、良く逆説的な褒め言葉として使われるのはおかしい。

だが、「頑迷固陋」から「迷」と「陋」を外した意味であると考えられるのであれば、それはそれで良いとも思う。

ここではポジティブな意味としよう。

鉄人の様な”頑固”さだ。

決して頑迷固陋ではない。それどころか、その全くの反対側にいた人。

進取の気性に富み常に率先垂範、労使交渉ではガンガンにやりあうがあくまでも労働者の味方。

そして、超フェミニストでもある。(ここがいい。おそらく、尊敬する母を見ていたからだろう。)

やはり、頑固というのは当てはまらないかもしれない。ポリシー自体は曲げないが、新しいことはどんどん取り入れ、方法論的にも常に新機軸なものを推進する。

良く、「政財界」という言い方をするが、財界に身を置きながら、政治家嫌いを公言しまくった。

田中角栄を「コンピュータ付ブルドーザー」と呼んでいたが、それはむしろこちらに当てはまるのではないだろうか。

この本に記載されているような発表されていることを全て鵜呑みにはしないまでも、大きく外れることはないだろう。

この人の人生を歩めるかというと、絶対にムリだし、歩みたいとも・・・思わない。と、敢えて言っておこう。

仕事が趣味というか、仕事が全ての91年の生涯だったらしい。

尊敬に値する方であることは論を俟たないが、価値観を共有することはできない。

美食を楽しみたいわけではない。しかし、土光さんの「老後をブラジルに渡って夫婦でのんびりと畑仕事でもしたい」という最後のあまりにもささやかすぎる夢すら叶えることはできなかった。

これはあまりにも悲しい。

終章にまとめられた「土光敏夫のDNA」は感動的であり、先述のの大不況と天災(人災)に打ち勝っていかなければいけない現在に一筋の光明をみる思いである。

読書レビュー:はじめての宗教論 左巻―ナショナリズムと神学 (NHK出版新書 336)


「はじめての宗教論 右巻」に続いて、読了。

しかし、「右巻」と比べて格段に難解になってると思います。

油断してたら、フルスロットルで引き離された感じ。

と言っても、引用部分などがとっつきにくので、全然わからないということではありません。精読すれば、面白いです。

なんといっても「初めての—」だし。

宗教(キリスト教)をベースにナショナリズムが構築されているのだが、そのナショナリズムからしてそもそも「民族」という概念自体がフランス革命以降のものである、という部分は目新しい説明です。

キリスト教は偶像崇拝を禁止ししているのだが、やはり宣誓は聖書に手を置くし、十字架も特別なもの。

ナショナリズムが宗教に取って代わると、国家・国旗がそれを表象するものとなり、橋下氏を始めとする国旗・国歌への対し方はともすると信教の自由に関わるものであるという見方もできる。

と、これは私の見解。

それはともかく、簡単に「神学」と言っても、もぉ、笑ってしまうぐらい広範で多岐にわたり、とても一人で全てを学べるものではないらしい。

その枝葉ディレクトリの一分野に関して大学図書館に所蔵されている書物を読破するだけでも2・300年かかるとか。

しかも、ドイツ語始めラテン語まで勉強しなければならないし。

こういうものをベースにおいて発展し、思考や感性のもととしている欧米がグローバルスタンダードであるとするならば、やはりこれは学ぶべきだろう。

興味深いのは、啓蒙された近代以降の私達はファナティックな一団を別にするとして”天上に神は存在しない”ということを知ってしまった上で、キリスト教を信仰していると。
私には信仰心がないので、イマイチ理解できない点ですね。

それと、神が遍在しかつ絶対の善であるならば、なぜ悪が存在するのか。この件のなんだかこねくり回した聖書の解釈が無理やりっぽくて面白い。

佐藤優さんのいかにもクリスチャンである真面目さが随所にあふれていて、こちらも真面目に読んでしまいます。

キーワード:弁証学=異教徒に対する 論争学=内部派閥に対する

右巻はこちら